小説・君に願いを

  君に願いを  作・藤倉崇晃

 令和七年一月末の平日。
 午前十時の少し前。
 僕はコンビニで働いている。南与野駅から四百メートル離れた安心マート。駅前とは言い難い立地で来店する人は少ない。この店で一人前に扱われたかったら、業務を全て一人で出来るようにならないといけない。それはワンオペと呼ばれる。
 レジに立って時計を見る。
 ピロリロ リロリロ
 出入口の自動ドアから客が帰って行く。
 しばしの静寂が次の客が来るまで訪れる。
 この店はそんなことの繰り返しだ。

 静けさの中を栗井の足音が聞こえる。
 彼女は未だにワンオペができない。名前は栗井ねる。同じ大学の女子大生だ。
 僕は必ず助太刀に起用される。
 栗井は買い物かごに廃棄を入れてレジまで歩いて来る。
「とうま。十時の廃棄がこんなにあるよ」
 廃棄とは、要は売れ残りだ。
 サンドイッチと冷やしうどんは、よく売れ残る組み合わせだ。
 売れ筋はコーヒーメーカーのコーヒーだ。
 栗井は、フッと溜息をつく。
「とうま、廃棄いらないの?」
「僕はいらない。欲しければ、どうぞ」
 時計が午前十時を指すと、栗井はピピッと廃棄の登録をする。けだるそうな横顔で商品を片手に取り、バーコードを読み取っている。
 栗井はキョロリとこちらを向く。
「とうまは、新人が来るのを知っている?」
「新人?」
「大学生の子。店長が言っていたよ」
「そうなの?」
「頭良い大学だって。すんごい可愛いらしいよ。とうま、付き合えるかもしれない」
「なんだよ、そりゃ!」
 僕は栗井の言葉の意味がわからないふりをする。それよりも早くワンオペの出来る真面目な店員に生まれ変わって欲しい。作業が終わったのか、溜息なんかついている。
 栗井は、
「ひまっす」
 と言いながら、業務中は触ってはいけない携帯端末を取り出す。壁際の棚に腰を預けるのも駄目だが、こちらは誰も守らない。
 閑散とする店内で時間が刻々と過ぎていく。栗井は指先で携帯端末を熱心にいじる。もしかしてゲームでもやっているのだろうか。
「本当にひまだね。そういえば、新聞は見た? 八潮市で陥没事故があったのは知っている?」
「え? なにそれ知らない」
「マジか。とうまは情報弱者なんじゃないの? ほら」
 栗井は携帯端末で新聞記事の電子版を見せてくれた。
「道路に大きな穴が開いて、トラックが吸い込まれるように落ちて、一名行方不明。救助のクレーン車が来たら、クレーン車の重みでさらに崩落して穴が大きくなった」
「悲惨な事故だな」
「老朽化下水道って政治家が怒っていたよ」
「怒るのはいいけど。政治に利用するのはよくないよな」
 なんでもない日常に突然、大きな穴が開いたら誰だって嫌だ。
 僕はそんな物思いにふけって残り二時間ばかりをやり過ごす。
 やがて店長がやって来る。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
 栗井は店長の前ではきびきび動く。
 僕は店長と入れ替わりに正午で退勤する。
 バックヤードと呼ばれる関係者以外立ち入り禁止の場所で、パソコン端末で退勤処理をする。出勤時も同様だ。
 店を出ると外の空気をいっぱい吸い込む。
 止めた自転車に跨り大学へ向かう。
 講義は、二年次から内容も徐々に難しくなった。僕は、やがて、このままでは卒業できないのではないかと恐怖に駆られた。その疑念を拭い去るために一念発起して勉強をした。それは昨年の大型連休明けの頃だった。もしかすると人は皆、一人ひとりが典型的なのかもしれない。大それた変人も本当に類い稀なのだろう。丁度、そんなタイミングだったのだ。皆、同じ悩みを抱えながら決断したかのようだった。大学では勉強する側の大学生と、彼らのノートを見せてもらう側の大学生とがはっきり分かれていた。僕は勉強する側に回った。今では板書を写すのも苦で無くなり、統計学の難しい方程式も理解できるようになった。春が来たら僕は三年生になる。

 そして、翌日に世間は二月になる。八潮市の陥没事故は「いつ運転手が発見できるのか」と世間が騒がしい。人命の救出を最優先してくださいと、件の政治家もメッセージを飛ばす。

 今日は夕勤だ。夕方。大学が終わると、僕は自転車を走らせて店に向かう。五時間の長丁場だけど頑張るぞ。なぜなら僕と件の新人の子で二人営業だ。僕が仕事を教える。ワンオペの出来る店員になってもらいたい。それは僕の切実な願いだ。
 僕はコンビニの駐輪場に自転車を止める。
 急いで、店内に入る。
「お疲れ様です」
 午後勤のスタッフに挨拶する。
 僕は、バックヤードへ入り、
「お疲れ様です!」
 と元気よく挨拶する。
「お疲れ様です!」
 澄み切った高い声が返って来る。
「はじめまして! 恋浜ななみです! 今日から宜しくお願い致します!」
 言葉が耳を掻きむしる。
 目に映る彼女の姿は可愛いのなんの。
 僕は心の中で「わっ! なにこれ、可愛い!」と叫ぶ。
 思わずそんなリアクションしそうになる。
 なんとか気持ちを落ち着けて、
「はい。南条です」
 とダンディな発声をする。
 僕はそうやって、カッコつけてしまう。
 恋浜はこちらをまじまじと見ている。
 しかも人懐っこいかも。
 僕は、自分の制服を羽織ると、ファスナーを首元まで上げる。新入りは本当に可愛い子だ。頭の良い大学って何処だ?
「じゃあ、行きましょう。動画研修は終わったの?」
「終わりました。頑張ります」
 今度は落ち着いた声。
 僕は真面目そうだなと思う。
 僕達はバックヤードを出る。店内を歩いて、二人でレジの戸を越える。僕は壁際の棚の下からたばこのカートンを出す。
「たばこから教えるね。シフトはどれくらい入るの?」
「週二です」
「じゃあ今月中にワンオペができるように頑張りましょう。初日から厳しめだけど、覚えることたくさんあるから、仕方ないね」
 見た目や仕草が可愛いからって、不真面目は許されない。
 僕も先輩らしくしないと。どうかきちんと業務を覚えてくれますように。
 そして、一通り教える。
 恋浜は、僕の心配を切り裂くように、業務を的確に覚えていく。レジ打ちは一発で覚える。バーコード決済も、ポイントを溜めるほうを先に読み込んでから、決済用のコードを読み取る。コーヒーメーカーの掃除も一発合格だ。たばこは補充もレジの応対も完璧だ。
二時間が経過して、時計は夕方七時。
「もしかして安心マートは経験あるの?」
 僕は、気合が空回り、ついフランクに話しかけてしまう。
 恋浜は照れくさそうに微笑む。
「いいえ。嬉しいなあ。そんな風に言ってもらえるなんて。頑張れるかな」
 もじもじする目線のうつむき加減がいい。
 性格の良い子なのが伝わってくる。
 僕は張り切って、もっと教えようと思う。
「冷蔵庫の補充は夜勤さんが来る直前にやります。今の時間、雑誌が来るんだよね」
 僕がそう告げる。
 恋浜はポカンとした顔で、わかりましたと言う。
 しばらくして自動ドアが開き、業者さんがヘルメットを被ったまま、「持ってきました」と忙しそうにする。ドササッ! 雑誌をカウンターに置く。
「はあい!」
 僕は返事をしながら、受領証を印字する。タタタタッ! と印字の音が鳴る。印刷物に判子を押して、手渡しする。
「ありがとうございました!」
 業者さんは、僕の手からもぎ取るように受け取ると足早に去って行く。
 初日は上出来だ、夜十時に退勤になる。恋浜は時折、メモを取りながら真剣に仕事を覚えようとする。
「栗井もこれくらい真面目にやってくれたらいいのになあ」
「栗井さん?」
「そ。僕と同じ大学の女子大生。同じ栃木の子。同じ中学ではなかった。いい加減なやつだけど、ギリギリいいやつだよ。ちょっと、おてんばかな」
 僕はそう言って天井を見上げる。
 恋浜は、はっとした顔をする。
「そうなんですね」
「はい」
 僕は、お辞儀のように上体を縦に振る。
 恋浜はどこか一点を見つめている。
 それにしても、可愛い子だなあと思う。
「手提げのバッジが、可愛いですね」
 恋浜は、棚の上に置いてある僕の手提げを見ていた。手提げは、自分の貴重品や小休止で飲む飲料が入っている。僕の趣味で、アニメキャラクターのバッジを装着してある。
 大学のサークルで制作したアニメのキャラクターグッズは、去年の学園際で販売したものだ。結局、売れ残って大赤字になった。まあ、大赤字に悔いはない。
「私、バッジとか可愛いものに目がないんです。いいなあ」
「これ? これがそんなにいいの? あげようか?」
「えっ!」
「家に同じものが沢山あるよ」
「いいんですか? ありがとう」
 恋浜は急に頭を下げてもじもじする。
 ああ! 可愛い! 僕は心の中で叫ぶ。
 恋浜は自分の手提げから携帯端末を出す。
「あの、よかったら南条さんは先輩ですから、メッセージアプリの連絡先を交換しませんか?」
 僕は、断る理由はないと思う。
「いいよ! 栗井とも交換してあるから、大丈夫! ていうか、店のグループチャットに入ってない?」
「あ、あれ、入りました! 個人で繋がって平気ですか?」
「もちろん!」
 恋浜は嬉しそうに笑う。
 僕は、恋浜は店に残って定着すると思う。
 夜十時に夜勤の福山さんが来て、入れ替わりになる。
 二人で退勤して店をでる。
「お疲れ様でした!」
「はい! お疲れ様でした!」
 挨拶する恋浜の言葉の感触がいい。つい、僕は顔を見てしまう。こんなに素敵な子は見たことがないかな。しかし僕は信頼できるバイトの先輩でなければならない。変な気を起こしたら、まるで恋浜が真面目に働いていないみたいじゃないか。
 僕は、颯爽と駐輪場のほうへ歩く。
 夜十時は冷えるな。
 風邪をひかないようにしないと。自転車へ歩み寄り、跨って帰ろうとする。
「南条さん!」
 恋浜は、小走りに追いかけて来て、お辞儀をする。
「今日は沢山教わりました! ありがとうございます」
 明るい声だ。店の明かりのように夜道の闇を照らす光!
 もしも八潮市の陥没事故で出来た大穴に恋浜が落ちたらどんな気持ちになるだろうか? 
 それはとても暗くて残念な気持ちになるだろう。
「大学はどこ?」
 僕は尋ねる。
 恋浜は嬉しそうに、
「目白にあります」
 と答える。
「学習院?」
「え? わ、わかっちゃった! どうしよう!」
 
 その瞬間だ。
 キキッ!
 自転車のブレーキ音が鳴り響く。
 なんだ、いいときに!

「とうま! 夕勤お疲れ!」
「あれ? 栗井。夜勤は福山さんのワンオペだろう?」
 栗井は自転車を降りると、真顔でこちらを見る。
 僕は、なんだろうと思う。
「シャンプー、っすよ」
「ああ。なんだ。ドラッグストアで買わないの?」
 栗井は立ったまま、恋浜をジッと見る。
 恋浜も栗井をジッと見る。
「恋浜です! 閉まっていますもんね、夜十時は」
 恋浜なりに会話に混ざろうとして相槌を打ったのだろう。
 僕は、栗井が次に放つ返事の意味を疑う。
「たばこ吸うの?」
「え?」
 恋浜は突然の問いに驚く。
 栗井の問いは不躾そのもの。
「吸うでしょ」
「ええ?」
「吸いそう。よろしく、栗井です」
 憮然そのもの。声が冷たい。
 栗井はそのまま店に吸い込まれていった。栗井の後ろ姿に歪みが無い。スタスタと歩くのだ。しかし、何故あのような問いを?
 栗井の残して行った余韻が痛い。
 僕は、なんとなく恋浜に申し訳なかった。
「ごめん。ギリギリいいやつだけど。今の発言は、ラ、ライン上だ。人間の境界線のギリギリだと思われます」
 僕は最大限、おどけてみせる。こんなひと悶着で、恋浜の機嫌を損ねて、最悪、やっぱり辞めますとか、言われないか不安になる。
 恋浜は、またハッとした顔をする。
「そうなんだ!」
「おう!」
「気にしないでいいんだ!」
「そう!」
「栗井さんは、私が嫌いなんじゃなくて、もともとああいう感じなんだね! オッケー! 平気だよ! 流していいんだね!」
 恋浜はお辞儀をして去って行く。
 僕は恋浜の後ろ姿をただ見ていた。
 もしかして怒らせただろうか? 早口になって帰って行ったけれど。というか、家が近いのか。歩いて帰って行ったけれど。
 僕は不安になる。あれは怒っているのか? でも頭の良い大学の子っぽい。
 何の気なしに立ち尽くしていると、店の自動ドアが開いて、栗井が出て来る。
 そして僕は、栗井と目が合う。
 栗井は真っすぐにこちらへ歩いて来る。
「店員だろ。シャンプーくらい、ここで買わないとね」
「どうしてああなった?」
「頭良い」
「ほう」
「頭良いやつ、好きじゃない。私は講義を理解出来なくて、友達を頼るしかない。ノート、見して、見してって! 私は頭の良いやつが嫌いだ」
 僕は、栗井の言い分を半分理解できる。勉強できない組の大学生活を拒否して、本当に勉強をする道を歩んだ僕は、頭良い人と、良くない人の中間に位置していると思う。だから両方の味方ができると思う。
 栗井に別れを告げて、自転車を走らせる道。栃木県足利市は僕と栗井の故郷だ。東京ほどではないが、さいたま市もとにかく人が多い。
 
 それから時が過ぎ、二月も中旬になる。
 この日は、夜勤の福山さんが病気で遅刻する非常事態。
 それで急遽集められた三人体制。時計は深夜一時。
 僕はため息交じりに天井を見てぼやく。
「日付が変わった。昨日は、バのつく日だと思ったけれど。そんなことは、僕は知らない。我が国の悪しき風習に終止符を打つのは政治家か、お笑い芸人か。なんて」
「あははは! とうま君! 言っている意味わからない! バのつく日ってバレンタインのことかな?」
 恋浜は嬉しそうに手を叩いて、僕の漫談を聞く。
 僕は照れくさそうに、左様ですかと首を下げる。
「とうま。一時の廃棄、忘れないようにしないと」
 栗井は言い終わると、僕を見る。
 僕はフッと溜息をつく。
「僕がやるよ」
「私がやります! 後輩がやらないと!」
 恋浜が遮るように自分がやると言い出す。
 恋浜はレジから出て、籠を持って、廃棄を拾い始める。
 おにぎり、サンドイッチ、冷やしうどん。
 僕は、お言葉に甘えて恋浜に任せる。恋浜は、廃棄の登録が終わると、冷蔵庫のバックヤード側に置くのだろう、そのまま店内通路を歩いて行く。関係者以外立ち入り禁止のエリア。夜勤の廃棄は福山さんの取り分だ。
「とうま」
 栗井が話しかける。
 なんだろう?
 僕は、続きを聞こうと無言。僕達の間を、その判断によって沈黙が支配する。十秒間だろうか。
「どうした?」
「帰りたい」
 栗井はカウンターにうなだれる。
 僕も疲れている。
「マジか? 福山さんが来るまで待てない?」
「眠い。二時に来なかったら切り出そうと思ってたけれど、でも限界っぽいんすよ」
「仕方のない。座っていていいよ」
 チキンを揚げるスペースが、客側からは隠れているが、そこに座椅子がある。僕もたまに小休止する。ストールもそこにある。
 僕はストールを栗井に被せようとする。
「手、近い」
「は?」
 ストールは少し油臭いけれど被ればいい。
「とうま、手、近い」
「馬鹿言わない。ストールでも被って休んでいろ」
 僕は栗井にストールを被せる。
 栗井はおもむろにストールを脱ぎ捨てて、
「帰る」
 と言うと、スクっと立ち上がる。
 急にきびきびと動き出したのだ。カウンターを客側へ越えて、そのままバックヤードへ向かって去って行く。
 退勤処理をするつもりだろう。
「恋浜と一緒に帰ってあげて! 仲良しなんだから!」
 そんな捨て台詞だ。栗井は微妙な余韻を残こす。入れ替わるように恋浜が戻って来る。
 僕は恋浜に伝える。
「栗井が帰る」
「そうなの?」
「早く福山さんが来てくれたらいいな」
「回復するの?」
「たぶん。というか、してくれないと困る」
 僕はいい加減な返事をする。
 恋浜は「朝までは流石にしんどいかな」と言う。

 それから時計は過ぎる。
 客など全く来ない深夜のコンビニで、僕達は話をしたり、沈黙をしたりを繰り返す。
 
 やがて時計は二時になる。
「栗井さんはなんで帰ったの?」
 恋浜の間が悪い質問。
 僕は「眠いって」と返事をする。
「私のことが、やっぱり嫌いなのかな?」
「そんなことないと思うよ」
「変に思われることが多いの」
「なんで?」
 僕は、栗井が毛嫌いしていることを隠して、言葉の意図を聞き出そうとする。
「知能指数を病院で計ったことがあるの」
「高かった?」
「そう」
 恋浜は浮かない様子だ。
 僕は、栗井が以前に言っていたことを思い出しつつ、栗井が突然帰宅した理由も案外恋浜の勘が当たっているのかなと思う。
「輪に入るのが、本当は苦手なの。皆、私を羨ましくなって、私を疎ましくなるの」
「それは考えすぎだよ」
 言った瞬間、僕は「他人事のように言ってしまった」と思った。
 それでも恋浜は気を取り直して、
「ありがとう」
 と言う。
 
 福山さんは、そのやり取りのすぐ後にやって来た。
 僕は一足先に帰った栗井のことも丁寧に伝える。
 僕は恋浜と退勤になる。
 
 店を出ると外の冷たい空気が身体を覆うようだ。それでも真冬よりは幾らか穏やかな寒さだと思える。
「とうま君。バレンタイン、貰えなかったんだね」
 恋浜はそんな言葉をくれる。
 僕は返事をする。
「そうだよ」
「あれあれ? 誰からだろう?」
 恋浜は、そう言って茶化すように微笑む。
 僕は、そそくさと駐輪場へ向かう。
「気をつけて帰ってね」
 そんな気の利いた言葉を無意識に放つ。
 僕は自転車の鍵を外して、帰ろうとする。
「送ってください」
「え?」
 僕は、自転車のサドルに跨る直前ではたっと動きを止める。
「遅いから?」
 心の中で熱い火花が燻ぶった。
 恋浜は、うんと頷いて、ぱっと明るい表情になる。
「そうです! 遅いから!」
「いいよ!」
 僕は高鳴る鼓動を抑えられない。
 こんなに軽々しく言って良い感情ではないだろうな。何が? と聞かれたら困る段階なのは承知している。僕は恋浜が好きだ。

 僕達は、店前の通りを歩いて南与野駅の方面へ向かう。最終電車も終わった駅のシャッターが閉まっている。それが遠目に見える。恋浜は自転車を手で押す僕に気を遣って、線路下の脇道を選んでくれる。そして、駅東側の公園に入る。
 カップルみたいかな。深夜に公園なんて。誰もいない。
 恋浜は少し前を歩き出す。
 五歩、六歩、七歩前を歩いて、電灯の明かりに照らされる。僕はこの辺りでお別れかなと思う。夜空に月は無い。僕は不意に見上げて、オリオン座の位置を確認する。二月の深夜はあんな位置にあるのかと、思う。
「学習院は大変?」
 僕は、公園での第一声がそれだった。
 恋浜は、キュッと振り返る。また笑顔でうんと頷く。
 公園の明かりが照らす、恋浜の顔がよく見える。
「抱きしめて欲しいです」
 恋浜はそう言うと、僕の時間を止める。
 思考が、夜空に重なる。まるで、星だらけ。冷たい風が、僕を突き動かす。
 僕は、
「いいの?」
 と口走る。
 僕は自転車をその場に止めて、七歩の距離を歩く。
「とうま君。友達」
 何かを言いかけた恋浜を抱きしめる。
 恋浜の体温。僕は情動に突き動かされる。解体無き情動は、意味を知っているはずの恋浜に容赦しない。懸命に、腕の力を緩める僕は策士か。
「はじめて会った時から、可愛い子を見る目で見てくれるの。優しいから。友達に」
「わかった」
 恋浜は、腕の中で少し悲しそう声で言う。
「大学に入ってから、急に大人になって。こんな方法で確かめるの」
 僕が腕をほどくと、恋浜はまた笑顔になる。そして、また七歩だろうか。公園の反対側の入口に向かって進む。
 僕は追いかけない。ただ、星空の一番高い所にあるような高揚が、吹き抜ける冷たい風に癒される感覚の中で次の言葉を探す。
 恋浜は、笑う。踊るような足取りが止まる。手を伸ばして、別れのような合図をする。ここまでで、いいよと言うような仕草で、指と手の平をこちらに向ける。
 よく通る声がする。
「好きな子に『俺、女の子の友達いるけど気にしないで』って言えるね!」
 そして、恋浜は闇に吸い込まれていく。
 僕は追いかけず、ただ立ち尽くす。自分の冷静な思考を無視する。好きな子? 誰だ? 誰だと思われている? 機械のような自分が心の奥で何か言っている。
「これが恋浜のバレンタイン、なのかな?」
 僕は、仮にも女の子を抱きしめた達成感が身体から離れていく。
 そして来た道を引き返して帰宅する。
 人を好きなる事は何度もあった。今までの人生の、割合で言ったら数パーセントの時間しか誰かと両想いではなかったけれど、片思いなら半分程の時間をそうしている。 
 恋浜は僕じゃない。僕は、他人を、今まで自分と違う人物と意識したことが本当はなかったかもしれない。全部、自分に置き換えて、自分の知っている言葉で解体していた。流行のミュージシャンですら、背が高い、カッコいい。そんなものを再度、貼り付け合わせてトップアーティストになるものか。理屈はわかっている。そんな反省会をしたくなるくらい、僕の内側に答えのない恋浜だ。
「ほんの優しさなのか」
 インターネットで知ったこと。恋人が優しいのは好きなうちだけだよ。優しいという理由で交際するから痛い目に遭うのだよ。そのようなものを優しさと言うなら、じゃあ、恋浜はなんだ?
 僕は帰り道を少し歩く。
 やがて頭が冷えて、
「自転車に乗ればいいのにね」
 と自分にツッコミを入れる。
 そうやって帰った。
 
 やがて世間は三月に入る。
 ある日、僕は、店長に呼ばれる。店長は、恋浜がしばらく来られないからシフトを増やせないかと言う。僕は、春休みだから構わないと伝える。
 それから、ほんの少し忙しい日々が続く。
 僕は、メッセージアプリで恋浜に尋ねる。留学でもするのかと思って。しかし、返事はない。もしかして失踪? 人間関係で悩んでいたけれど。そういえば病院で知能指数を計ったと言っていたけれど、持病でもあるのか? 風邪かもしれないけれど。
 またしばらくすると既読が一気について、
「ご迷惑おかけしました」
 と送られていた。
 僕は、なんだろう他人行儀だなと思う。
 恋浜は風邪ではなく、肺炎だった。
 感染症も流行った世相で、身体を最優先するのは当然のことだ。
 恋浜と対照的に栗井は相変わらずだった。
「飯食おう」
 呑気にそんなメッセージを送って来る。
 春休みは学食も閉まっているから、どこで食べようと言うのか。
「何処で?」
「ラーメン。駅の近くの」
 そう言って、栗井は友達も誘って、僕らは四、五人で食事をする。大学生らしい輪の中で、のんべんだらりと温い時間を過ごす。
 同席の友人が得意気に言う。
「バイトしない奴は馬鹿だよな。バイト組でこうやって輪が出来るって」
「南条はコンビニでしょ? 大変そう、周りと比べて大人だね」
「そんなことねーよ」
 僕は口を突いて返事をする。駅周辺のバイト先も増えた。南与野同盟のような、クラスのサブグループは居心地が良い。栗井が連れて来るメンツに、混じることに疑問もない。
 ただ、栗井がいなかったら、僕はどのような輪の中にいただろうかと思う時はある。それが栗井への感謝に変換される時は、ある。
 また別の日には、メンツを増やして唐突に酒を飲む。
 南与野駅の近くの居酒屋に集合する。
 やはり、栗井が連れて来る同学年の大学生らに、僕は混じるだけ。
「サークルの新歓の準備が大変だよ」
「え、やっているの? 俺ら、今年三年だぜ? 俺はもう抜けたわ。伝えてある」
 僕は、ちょっとした喧噪の中で音を聞く。
 輪に入るとか、入らないとか。そんな価値観が、時に重い。
 一人が酔った顔でこちらをジッと見る。
「南条先生! 四月からまた、勉強教えてください!」
「誰が先生じゃい!」
 僕はとぼけた声を出す。身振り手振りで、人の気を引く道化師のようだ。
 栗井が口を開く。
「南条は、気位が高くないよね。勉強できる組がトーイックの勉強会開いていたよ、ウザイよね?」
「あ! ウザイ! あいつらでしょ?」
 別の女子が話に入る。栗井と仲良しの女子らが、一人、また一人と混じる。
 全員、見知った顔ぶれだが、どこか遠くに感じる瞬間がある。
 栗井は、こちらを見る。そして、皿を一つ僕の近くに寄せる。
「南条も食べな」
 僕は、栗井の声が耳に残る。――南条。皆の前では、皆に合わせて南条と呼ぶ。栗井にも良い所があって、誰かがそこに重きを置く。輪に入るとか、輪に入らないとか。たまに思う、集団は一つの生き物だと。栗井が、とか、誰かが、とかではなく、その一体の有機体を怒らせてはいけない感覚がある。
「トイレ」
 僕は立ち上がる。
 栗井は、また別の誰かと話をする。会話は途切れることがない。
 僕は、決して人嫌いではない。
 僕は客席を抜け出して、居酒屋のちょっとした通路で、邪魔にならないように立つ。
 喧噪を離れて、携帯電話を弄る。
 酒に酔っているかもしれない。
「恋浜」
 恋浜と通話することも増えていた。
 僕はチャットに不在着信の履歴を残す。
「君とお話がしたいです」
 と言いたげな、物欲しそうな履歴が残ってしまった。
 僕はそのまま廊下で突っ立っていようかと思う。
 好きな人を待ちぼうけするのは、不思議と心地よいものだ。
 しかし、
「トイレ、長い」
 と栗井が話しかけに来る。
 栗井は酒に酔っているのが間違いない、赤面した顔で僕を見る。
 栗井はフライドポテトをくわえている。
 そのまま僕の傍に寄って来て尋ねる。
「恋浜? 連絡しているの?」
 そして、にやりと笑うと僕の腕を掴んで客席に引きずり込む。
「かなり酔っていやがるな」
 と思う。
 案外、女の子の力は強い。
 僕は引きずられるように客席に戻る。
 ここで友人の一人が開口一番、
「遊び行け!」
 と、檄を飛ばす。
「お前ら、付き合え!」
「そうだ付き合え!」
「栗井は、南条がコンビニに就職しないようにしてくれているんだぞ!」
「なんだ、それは気遣いか!」
 僕は言葉を返す。
「ふざけるな! 店! 潰すぞ! 隠れ店長!」
 今度は女子の野次だ。
 僕は反対側をくわえろと急かされる。ワッショイ! ワッショイ! もちろん、皆、ふざけている。そんな真似はしない、僕と栗井だから面白いと思っているだけだ。
 頃合いと見て、また誰かが言う。
「今日も駄目か!」
 ああ、と溜息が出る。
「お前ら、酔い過ぎだ。羞恥心の砕け散った、大人の真似だな」
 僕の一言が終了の合図のように機能する。
 皆、自分の座席でうなだれて静かになる。
 皆、顔を赤くしている。
 僕と栗井は酒のサカナの役目を終える。
 栗井は会計を済ませる。
 そして散会する。
 宴の後とはこのこと。
 帰り際に、栗井に言われる。
「いつになく、本気にしたね」
 僕は「お前のせいだ」と思いつつ千円札を四枚渡す。
「つり?」
「要らない。栗井、ありがとう」
「チャリンコ、お疲れ様」
「チャリンコ南条!」
 僕は、また言葉を選ぶ。
「おう。飲酒運転になるから押して帰るよ」
 ヒャッ! ハッハッハ! と「友達」の笑い声。
 僕は友人達をまくように、逆方向へ歩いて行く。
「ちょっと寄って行きたいところがある」
「南条、バイバイ」
 皆がとぼとぼと帰って行くのを背中に感じながら、夜道を行く。
 春の夜風は、温かい。夜風の冷たい季節に、君は、やって来た。
 すれ違う会社帰りのサラリーマンは、僕らの未来。
 皆の声が聞こえない。もう、聞こえない。
「恋浜」
 僕はあの日の公園へ戻りたい。
 僕は駅前の公園に着く。
 酔いを醒ますように、ベンチに座って、この時間ならまだいる人の往来を音で感じる。
 僕は、何時間でもこうしていたいと思う。
 あの日と同じ時刻まで、待ちたい。
 しぼんだ風船は何色ですか?
 きっとこんな人だろう、あんな人だろうと思い。
 仲良しは善い事だと正論が背中を押す。僕を見る目が微かに恐れていれば、僕はまるで果物を絞るように「味方ですよ」と。
 ひと月ほど前のあの日、帰って行った恋浜が、ここに戻って来るのを待つ。
 あの日の続きがしたいよ。
 もちろん、続きなら着々と続いている。
 どこかで梯子を外される恐怖もない。僕達は確実に歩んでいる。
 ただあの刹那が心に焼き付いて離れない。
「君はあの夜、僕が誰かを守れるようにと」
 僕は酒に酔っているのか、そんなことを思う。そんな気がして止まない。恋浜は僕を強くしようとした。そんな気がするのだ。
 恋浜からの折り返し連絡を、なんだって待っている。
 人の気配が疎らになる。
 僕は時計も見ずに、ただひたすらベンチに座る。
 やがて、人が居なくなる。
「とうま君。来週からシフトに復帰します。ワンオペだって、店長に言われたよ」
 メッセージアプリを開いたままだから、既読が同時につく。
「公園いる」
「ほんと? 会いたいの?」
「誰が好きだと思った」
「今、行くから」
「病み上がり」
「いいよ。待っていて」
 呼んでしまった。
 春の風、桜が咲くのはもうすぐだ。
 恋浜は、すぐ来た――。
 肩で息をする恋浜を、僕はどんな顔で見ている。
「今日、病院行ったの。オッケーが出たから。ご飯食べて、机で動画を見ていたよ。うん。とうま君、こんな時間に会いたいんだ?」
 恋浜の声が、高いが擦れて聞こえる。
「驚いたなって。着替えて、寝ようかなって思ったら、着信履歴に通話が」
 僕は、
「飲み会でした」
 と、とぼけた口調で言う。
「どうしたの?」
「どういう意味で言ったのかなって」
「えっと。『誰か、これから好きになった時に』って意味で言ったかな」
 恋浜は、目を見開いて、そう答える。
 僕は、もう一つのことも尋ねようと言葉を送る。
「今日、皆が一瞬、怖かった。平気で輪の中にいる自分も自分じゃないみたいだった。僕は、誰一人守れない気がした」
 恋浜は、
「え? とうま君、やっぱり好きな人いるの?」
 と不思議そうな顔をする。
「やっぱりって?」
「えっと。うんと」
「恋浜?」
「栗井さんかと、思った。ご、ごめん」
 恋浜は、下を向く。
 僕は、正直に伝える。
「違う」
「友達!」
 恋浜は、僕の言葉を遮るように、「友達」と言って、すました顔をする。
 天使なんていない。
「とうま君」
「うん」
「もう一回」
 僕は、誘われるように恋浜を抱きしめる。体温を吸い取られるような錯覚をするくらい、恋浜は冷たい。ひと月前と季節が逆転したように、冷たい。
「とうま君」
「恋浜」
「人が怖くなった?」
 目を閉じたまま、胸を重ねる。
 深く息を吸う。
「少し」
 恋浜は重く、氷のように冷たい。
 恋浜の顔を見ると僕を見ていない。下を向いている。
「栗井じゃない」
 僕は念を押す。
 恋浜は、口を開く。
「とうま君。友達でいて」
 その言葉はゆっくりと僕の心の底に落ちていく。
 恋浜の心の扉を開く鍵のような金属片が小さな音を立てて、拾い上げることの不可能な深さの溝に落ちていくようだ。それでいて、金属片が確かに自分に埋め込まれていくような達成感がある。

 ――君はまた、僕が誰かを守れるようにと。
 
 ――桜の花が咲く前に僕達は二回目の抱擁を交わした。
 
 それから四月がやって来る。桜が咲き乱れて、新年度が始まる。僕は三年生になる。
 僕達の関係は桜が咲いても、散ってしまっても、思い描くようには、進展しなかった。
 まるで恋浜に呪文をかけられたように、僕達は友達のままだ。
 その代表的な言葉がこれだった。
「無理矢理、栗井さんを好きになっちゃいなよ!」
 僕は「恋浜の悪ふざけでした」と言い訳できる気がしたけれど、栗井は気が引けた。
 相変わらず栗井を女の子として見ることには抵抗があった。
「無理矢理好きになるなら、大人しい女の子にしようかな!」
 僕はそう言って、恋浜の思惑を煙にまく。
 けれど恋浜の言葉は僕の悪ふざけを促す。

 ある日のことだった。
 夕方六限目の講義を終えた時、無性にお腹が減った。
 学食で、いっそのこと晩御飯を食べてしまおうと思う。
 配膳のトレイに春巻き、青椒肉絲、好きな惣菜を乗せる。ポテトサラダの小鉢も加える。メインのオカズはチキンカツだ!
 今日はお腹が減っているから仕方がない。
 僕は白飯を貰おうとして、
「すみません」
 と声を掛けると、眼鏡の女子、たぶんウチの大学生だろう地味な子が出て来て、
「ご飯は大盛りですか?」
 と尋ねる。
 僕は、なんとなく、この女の子にしようと思う。
「はいそうです」
「わ、わかりました」
 とても丁寧に大盛をよそう。
「僕の地元ではご飯を『よそる』って言うんですよ」
「えっ?」
「でもこの地域では『よそう』なんですよね?」
「はい!」
「あ、地元の人?」
「は、はい!」
 嬉しそうに返事をする。
 背の低い女の子だし、やはり大人しそうだなと思う。
「ここの大学生?」
「はい! 一年生です!」
「僕は経済学部三年生の南条とうまです」
 この一言に女の子はやっと首を傾げる。
 そして何か恐る恐る、大盛の茶碗を僕のトレイに置く。
「あの、私もです」
「そうなんですね。よそってくれて助かります。どうもありがとうございます」
 僕はそそくさとレジへと進む。
 面白いな! お人好しな子だな!
 僕は空いている学食の真ん中の座席に陣取ると、トレイを置く。
 心なしか食事が美味しそうだ。
 早速、恋浜に連絡する。
「学食のバイトの子に話しかけてみた」
 メッセージアプリの送信ボタンを押す。
 我ながら笑ってしまう。
 僕はガツガツとチキンカツから春巻きまで平らげた。
「そうなの?」
 恋浜から返事が来る。
 僕はメッセージを送る。
「同じ経済学部の一年生だった」
「その子は同じ経済学部だったの?」
「そうみたいだけど、まだ経済学部棟で見かけたことはないね」
 そうやって僕達はずっと話していた。
 恋浜は僕の悪戯心に一切の指摘をしない。
 僕は閑散とする学食の中を見渡す。人と人とが談笑する様子を観察する刹那に思う。
 人の輪に入るとか、皆と仲良くするとか、そんな価値観を否定しきってしまえば、栗井の長所など長所ではなく、ただの子どもだ。けれど栗井に感謝が必要だという、 その考え方の前提は、誰も一人では生きられないという暗黙のものだ。
 僕が手に取る箸が皿の上を撫でるように食事を掬う。それが口に運ばれるまでの間に、僕は思う言葉を躊躇って、飲み込んだ。
 この考え方だけはしたくなかったけれど、僕達はもう大人だから、交際を申し込む行為は性的関係を申し込む意味合いを決別しきれないだろう。栗井とは無理だ。ただ、それ以上に心に引っかかるのは、恋浜の「友達」という言葉は、もしかすると「単なる処理」なのではないかという疑いだ。
 僕は食べ終わって帰るとき、件の女の子のいるカウンターの前を通り過ぎていく。
 その時に、
「経済学部一年生の前田です」
 と簡単に挨拶された。
 僕は愛想笑いをする。
 もしかしたら前田さんは来年の今頃、去年の僕と同じ悩みを抱えて、何らかの決断をするかもしれない。
 僕は足を止めて、前田さんに話しかける。
「高校の頃と違って、勉強できる人が正しいとか、偉いとかじゃなくなるよ?」
「はい!」
 前田さんは元気よく返事をする。
 単に先輩の言葉だと思って反射的に返事をしたのだと思う。
 赤いコップですか?
 赤くないコップです。
 ああ! じゃあ、とりあえずコップではあるんだね! 
 相手の価値観を受け入れるなんて、所詮、自分の価値観の近傍にスペースを設けるようなものだ。「コップではありません」となればいよいよお断りだろう。
 このコップは大きすぎるからコップではありません。
 花瓶か水差しです。
 僕は無性に恋浜に会いたくなった。
 恋浜の悩み、癒されない苦痛の正体を垣間見た気がした。
「人によって価値観が違う」
 だなんて嘯いているうちは何もわかっていない。
 本当は無頓着に自分が正しい側だなんて思っている。
 僕は恋浜にメッセージを送る。
「もっと聞かせて欲しい。ああ思うとか、こう思うとか」
 僕は信頼できるコンビニの先輩です。
 君はあの夜、僕が誰かを守れるようにと!

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