共生社会にむけて

共生社会にむけて

ナチスの反省から生まれたドイツの差別禁止制度──日本に不足している「歴史認識」の仕組み

本稿の目的は、たとえば「鎌倉幕府は沖縄県民の歴史じゃない」という義務教育をして、生徒を一人として沖縄を差別する人にしない、この二つを同時に叶えられないのは差別禁止制度がないからだ。その隙を突くように、ここにきて自虐史観などという価値観が、自己の利益と折り合いだけの空論であり、まったく正義でない(同じ正しさを沖縄県民に持てない。現在の日本国領域で遍く共有できない歴史観)にも関わらず、正義のように跋扈した
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クルド人向けの日本語教室がタッチポイントであること 外見的同胞意識の誤謬と共生の最前線

言語を教え合う機会は、あくまでクルド人コミュニティと日本人とが接点(タッチポイント)を持つためのものなのだ。ほうっておくと引かれてしまう社会の境界線を解消するための、もしかしたら儀礼的なものでもあるかもしれない。ボランティアとして参加する者達が、クルド人側の安全や安心を勝ち取ることは不可欠なことなのだ。理由は前述の通りだ。彼らの外見的同胞意識は防衛であるからだ。
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ドグマと化す政治思想と外交史観

ドグマは自己無矛盾な教義で正義と結びつく。現代日本には軍拡・文化的ナショナリズム・平等主義の三類型があり、日米・日中・東南アジア認識も各立場で大きく異なる。各々は国家観と国際秩序観の差から対立し、同一対象でも解釈が分岐する。