この堪え難き傾国のスケルツォ 作・藤倉崇晃
夏めいた陽気に包まれた朝。鳥が飛ぶ。白い鳥も、青い鳥も自由に飛ぶ。青空とのコントラストで映える緑の庭。庭師がせわしなく手入れをする、広大な赤く実る洒落た果樹園。この豪邸は庭でとっておきの果物が採れる。
門は開き、六人乗りの大きな馬車が出発を待っている。
私は、玄関のすぐ外でメーテル様を待っている。使用人がドレスを着付けして、もう整った頃だろう。
玄関の扉はゆっくりと開く。
「御準備が整いましたか?」
私は隙間から顔を覗かせる背の低い少女に尋ねる。
大きな瞳がキョロリと私の目を見る。
うふふ、うふふと、いたずらっ子の様に私を見て、なかなか出てこない。
揺れる髪が肩にかかる。
私は顔をしかめる。そろそろ向かわないと。
少女は元気な声で、
「ハイネ! 待たせたな!」
と高い声をあげる。
そして、ようやく扉から全身が飛び出す。ピンクとオレンジのドレスに身を包んだ少女。メーテル・メルセデス様は、十二年前に心の成長は止まり、背は伸びず、言葉も幼い。まるで八歳の少女のまま。それでもメルセデス家の当主であらせられる。
数日前、「メーテルと共に参内せよ」と公爵様から知らせが来た。
私達は馬車に乗り込む。
御者の鞭の音が聞こえる。
そして揺られながら、公爵様の城へ向かう。
道中は長い。陽が落ちる前に到着する約束だ。
「ハイネ! 絵を描きたい!」
いつものメーテル様だ。窓から見える景色を描きたいのだろう。そんなこともあろうかとトランクに準備をしていた。
「はい、メーテル様。絵画の道具をお持ちしております」
「景色を描くには何がいいかな?」
「遠くのお山をお描きになられてはいかがですか」
「うん!」
馬車の外は、馬に乗った身辺警護の者が、何十人も連なってパッカパッカと音が鳴る。
そうやって、川沿いを行く。
川の流れる田園風景が続き、私はのどかな空気に溜息が出そうになる。
従者はもう一人、私の十五歳の娘・エレーナがいる。
エレーナはあくびの一つもせず、メーテル様の様子を見ている。
外は、次第に川が寄り添って、川幅が広くなり、水運の姿も見えて来る。
太陽は東から南へ、南から西へ。景色はゆっくりと変わる。田舎は町へ。煉瓦の建物が増え、やがて密度の高い街になる。――そして、城の輪郭がはっきりと見える。川に囲まれた威厳のある建造物。
馬車は、湾港まで続く舗装道路の上を行く。
エルンスト・ジャルツォーネ公爵領は、皇帝から戴冠を受けて公国となってから、三十年しか経っていない。比較的新しい小さな国だ。先代の死後、若干十八歳で家督を継いだ若き公爵二世は、二十二歳になった。博学で聡明と謳われていたが、宮廷の粛清――内部統制に明け暮れ、気がつけば先代の遺産を食いつぶすだけの時間が四年も過ぎた。都市部は重税で貧困層の吹き溜まりが出来て、治安もよくない。近隣の王国との力関係に押され、貿易は滞り、経済は逼迫する。このままでは国が亡くなる。――今に、戦争が起きるのではないかと噂される始末。
物思いに耽っていると、メーテル様は、画用紙の半分以上が緑色の絵を、得意気に私に見せる。
「ハイネ! 描けたよ!」
「綺麗なお山ですね」
絵には太陽がいくつも描かれている。
道中、メーテル様の目に入ったと思われるものが無秩序に、無造作に描き込まれている。田舎の農夫、くたびれた街の職工。……これは、私か?
「ハイネも描いたよ!」
メーテル様の大きな瞳がキョロリと私を見る。
この瞳はメーテル様の命綱と言っても過言ではない能力。絵画の才能は無いが、人をよく見る。――敵か味方か、一目瞭然なのだろう。私はいつもそう思う。
「描いてくださり、嬉しく思います」
「そこまでかしこまらないでよ! ハイネはお友達だもん!」
「いいえ、メーテル様。そういうわけにはいきません。私は、執事のハイネ・フォンクチュールで御座います。……それに、恐れながら申し上げます。公爵様の前では絶対にお静かにしていなくてはいけません」
「うん、わかった……。ねえ、公爵様はどんな御方?」
「……私も、公爵様が大きくなられてからはお会いしたことは御座いませんね」
メーテル様が当主になってから十二年間、メルセデス家は公国から蔑ろにされてきた。父、母と兄を一度に失った幼いメーテル様は、容赦なく諸侯から軽蔑された。領地こそ取り上げられなかったが、なんの気まぐれか今頃になって諸侯のボスたる公爵様が「会いたい」と仰せ。……上手くやらなければ、粛清に忙しい公爵様のことだ、いよいよその時が来たとも思えてくる。
馬車は、陽が沈む前に城に着いたものの、公爵様が本を読み耽っているから私達の謁見は明日になった。今宵は、来客用の部屋で一泊する。他の客人達も同じく泊りがけになる様子だ。
石造りの城の客室から見える景色は、富裕層の邸宅と飢えた領民の群れが入り乱れている。物乞いをする貧民のお目当ては、公爵様にこびへつらう為に城を訪れる諸侯や貴人、その従者ら。彼ら金品の有り余る者達だ。城の周りに集まるほうが、実入りが良いのだろう。
客室で夕食を食べ、その後は寝る。
メーテル様にはエレーナがついているから大丈夫だろう。
翌朝、私は急いで支度をする。
鏡の前で髪を整える。
城の者が言うには、公爵様は「朝食後すぐに謁見を行いたい」と言うのだ。
私は、身なりを整え部屋を出る。
威風堂々とした赤い絨毯の廊下。
メーテル様は、私の部屋の前で待っていた。水色とオレンジのパステルカラーに身を包んで準備万端の様子だ。――まるで海面に浮かぶ朝焼けのような御姿。
私は、
「お待たせしました」
と静かに告げる。
メーテル様は、私を見るなり無言で、二回頷いた。――ははあ。さては、私が言ったことが、もう始まっているのだな。口を噤んでいらっしゃる。
赤い絨毯を一歩、一歩と進んでいくと玉座の間に通される。
あれが……、公爵様か……。
成人なさってから、はじめてお会いする公爵様の御顔は、黒い獅子の風格のある凛々しいものだった。眉毛が濃く、鼻は凛々しく。目は鋭く、鷹のようだ。――啓蒙専制君主と謳うものがいるが、あながち佞言ではないと感じる。それでいて若い。髭を生やしていない。
私とメーテル様は、玉座の前で跪いた。
メーテル様は緊張している様子だ。大きな瞳が、ギュルギュルと音を立てるように一層大きくなり、頬が紅潮している。
公爵様の声は澄んだ音のようだ。
「ハイネ・フォンクチュール。貴殿がメルセデスの実質的支配者か?」
「滅相もございません」
心外だが、まあ、確かにメーテル様に出来ない執務は全て私が代行している。
「本当か?」
「成人したメーテル様を大人として接するのが難しいのです」
私は、こびへつらう言葉を、なぜだか捨てた。公爵様に対してとても不躾な言い方になってしまった。もっと、丁寧な申し開きがあってもよかったかもしれない。あれだけ上手くやらねばと思っていたのに。
確かに思う所はある。十二年前、公国の権力闘争が激しくなり、その年だけでも三十名の貴族が命を落とした。奸計、謀略の嵐。それが原因で公爵様の兄達も命を落とした。
「クックックック……!」
公爵様は笑う。
「面白い。猿と猿回しが来るとトーマスが言っていたが……」
そして、ギロリとした目で私を見る。――鷹か。獅子か。
「乗馬はするか?」
悠然と口を開いた公爵様の言葉。
私は、この不可思議な言葉に耳を疑いつつ、それでも、返事をする。
「はい。嗜む程度に」
公爵様は間髪入れずに、
「馬場馬術を見せろ。……この使用人風情が、どんな風に馬に乗るのだろうな」
と述べ、興味がある様子。
公爵様の気まぐれで、私は昼食の後、馬に乗る。もちろんメーテル様も同席して見ている。他にも、中庭に集められる、この日、城に居合わせた多くの諸侯と貴人ら。彼らに向かって、執事の身分に過ぎない私が、馬場馬術を披露する。高貴な者達が、せせら笑うように見物している。
――私は、見世物か。
公爵様は、立派な御顔で、
「俺の愛馬だと言ったのに、臆面もなく乗ったな。馬を静止させれば、ピクリとも動かない。見事な馬場馬術だな」
と、満足気だ。
――確かに、二十二歳の若い君主だ。このような御戯れを、辱め半分、面白半分。
「はかりごとは好きか?」
「いいえ」
公爵様は、馬を見ている。
――馬は動かない。まるで私の心の動きを、主人に伝えるように。
「ハイネ・フォンクチュール……。貴様、謀略家だな?」
「いいえ」
「謀略家でないならなんだ? 大昔の権力闘争でメルセデス家が失脚したのに、貴様は生きながらえて、御息女の御守りにかこつけて領地を牛耳っている」
「誤解で御座います」
「どうしてだ?」
「私は妻を失いました」
――クックック!
公爵様が笑う。
「メーテルはいくつだ?」
「二十歳で御座います」
――馬は動かない。まるで私の心の動きを、主人に伝えるように。
公爵様は、
「来月のスケルジャルディーノに来い。お前一人で、な」
と言う。
スケルジャルディーノとは、公爵様が考えたトランプを用いるカードゲームの大会だ。城へ、公国全土から諸侯や貴人らがやって来る、お祭り。
ゲームは二名でおこなわれる。交互に山から一枚引き、手札に加えるか、墓地に捨てるかを選ぶ。相手が赤を手札に加えたときに、「スケルジャルディーノ」と言えば 勝ち。誤れば相手の勝ちになる。あるいは先に二枚目の赤を手札に加えた側が勝ちになる。
――もっぱら余興だ。公爵様は、そのような運否天賦で人の顔が赤くなったり、青くなったりするのを見物したいのだ。
公爵様はメーテル様を見ると、いくぶん見つめる様子で、
「子どもだな」
と言う。
そして、謁見は全て終了した。
公爵様の御厚意で私達はもう一泊する。
メーテル様は、私の言いつけを守って口を噤んだまま、顔を赤くしている。
部屋に戻るときも、ずっとそうしている。
「もうお話をなさっても、構いませんよ」
私がそう申し伝えても、メーテル様は一向に口を開かない。
下を向いたまま、自分の客室に引きこもってしまう。
次の日の早朝、私達は城を退散する。
馬車の中で、メーテル様は何枚も何枚も、公爵様の顔を描く。
「エルンスト・ジャルツォーネ公爵二世様!」
「エルンスト・ジャルツォーネ公爵二世様!」
言葉を繰り返しながら、何枚も何枚も。黒い獅子のような公爵様、鷹のような目の公爵様、輪郭を濃く、強く、深く何度も塗る。メーテル様は正気を失っている様子だ。理由は、問いただすまでもない。
「エルンスト・ジャルツォーネ公爵二世様!」
「エルンスト・ジャルツォーネ公爵二世様!」
メーテル様の大きな瞳が、淀みなく輝きながら、ギュルギュルと一段と大きくなる。やがて、顔が真っ赤になったメーテル様は、馬車の中で目を固く閉じて、悔しがるような声を漏らす。そして、寝る。
――旅の疲れもあるか。
私は、エレーナを見る。
エレーナですら、顔を赤らめ、
「彫師が彫ったような御顔でございました」
と言う。
「見たのか?」
「帰り際に一目、お目にかかることができましたものですから」
「メーテル様をお見送りになられていた?」
「はい」
――馬車は、パッカパッカと、メルセデス家の屋敷に向かう。
「当たり前の幸せに包まれたければ、誰かの当たり前の幸せになることだ」
私は、呪文のように言葉を放つ。
エレーナはハッとした表情で、こちらを見る。
「いつの間にか、私達はメーテル様に励まされているかのようだ」
「父上?」
「……すまん」
私は、謀略家の外観を帯びているのか。
――恩のあるメルセデス家に、背いているのか……?
メーテル様が描いた、公爵様の絵は顔ばかり。
やがて馬車はメルセデス家に到着する。
それから来る日も来る日も、メーテル様は家にいる間中ずっと、公爵様の絵を描き続ける。
そんなメーテル様には悪い知らせかもしれない。
ある日、屋敷に手紙が届く。
――公爵様が婚約した……?
公爵様は、領内の名家であるヨンゲスタ家のプルメリア様を妻に迎える。恐らくはもっと前に決まっていたことなのだろう。結婚式は、三か月後の公爵様の誕生月に行われる。
――やれやれ、こうも直前に知らされるとは。どのような祝いの品を用意すれば良いか見当もつかない。
私は、メーテル様に伝えるべきか悩んだものの、隠しごとはよくないと思って、手紙をそのまま渡す。
メーテル様はとてもがっかりして言葉を失う。
私は、家の者にプルメリア様について調べさせる。どんな御方なのか知るくらいよいだろう。祝いの品は何がよいか考える参考にしたい。
さらに十日経って、調べあげた家の者が言う。
「プルメリア様は身体が弱く、病弱な体質です。持病がいくつかあり、南蛮の食べ物は口にしてはいけないとのことです」
「……何なら食べられるのだ?」
「パンと果物だそうです」
「わかった。よく頑張ってくれた」
「もう、いいのですか?」
「なんだと?」
「絶世の美女です! それでいて華美な服装や贅沢は好まず、質素倹約を好む清廉潔白な御方です。エスメラルダ様という、もう一人の婚約者候補がいて、重臣のトーマス様はそちらを推薦していたとか、噂もいくらか小耳に挟みました」
「……うむ」
「失礼します!」
「待て」
私は、庭で採れる果物でジャムを作るよう、町一番の職人を呼べと命じる。
家の者は不思議そうにしていたが、了解して、すぐさま取り掛かる。
――そういったものをお喜びになられるだろう。メルセデス家の領地も財政が傾いている。祝う気持ちが伝わるなら、瀟洒なもののほうが晴れがましくないだろう。
それから、半月が経つ。
夏の盛りに太陽が真南に位置する炎天下。
私は、一人で馬に乗って城へ向かう。今晩はスケルジャルディーノが開催される。
招待状と着替え、最低限のものを詰め込んだトランクを乗せて、パッパカ、パッパカ、馬を走らせる。――使用人風情が本当に一人で乗り込んできたのか、大した心胆だなと言われるだろうか?
夕方、私が城に着く頃には、既に客人の諸侯と貴人らが大勢到着していた。
繰り返される粛清の後、生き残った貴族らは、表向きは公爵様の熱烈なシンパだ。
「メルセデス家?」
「はい、執事のハイネ・フォンクチュールです」
「アッハッハッハ! 本当に公爵様直々の御推薦で執事が来たのね!」
大広間に通され、夕食時にスケルジャルディーノは始まった。
沢山の美酒が、湯水のように注ぎ込まれる。
七面鳥も無限にあるかのように運ばれてくる。
私は、今宵酒は一滴も飲まないと決めたが、七面鳥には「役得」と心の中で呟いた。
――旨い!
――今宵は、無礼講だ!
公爵様の高らかな声。すこぶるご機嫌な様子だ。貴族達は一目散。公爵様の周りを、こびへつらう者達がぐるりと取り囲む。聞けば外国との儲け話や政治の話を熱心にしている。兵隊や軍備の話も聞こえてくる。
「どうかめぐんでください」
素直にそう言えばいいのに。表向きはこびへつらっているが、要は操作したいのだ、公爵様を。公爵様もそこまで愚かな方ではないと見受けられるけれど、侫言ばかりで小うるさいだろう。公爵様の編み出したカードゲームに没頭する系統の連中はまだ賢いと思う。公爵様の御機嫌を損ねたくなかったら大人しく遊んでいるほうが無難だ。私はそういった連中のほうへと歩んで、近くにいることにした。
しかし、しばらく居座るとわかる。こちらも賢さとは程遠い間の抜けたサロンだと思う。スケルジャルディーノは、運否天賦の余興に過ぎないのに、貴族らは政治や経済の大問題を扱うように熱心に取り組む。
「貿易会社の株券を賭けるぞ! 貴殿は何を賭ける!」
「別荘を賭けようじゃないか!」
やれやれと思い、私も余興に加わる。
贅を尽くした宴会で、私は黙々と勝利を重ねる。
つい真剣に遊んでしまった。――黒を引いた者はカードを、赤を引いた者は私の目を見る。ただそれだけで七、八割、勝ててしまう。まあ、何も賭けていないし。いかに私が貴族連中から軽く見られているかよくわかると言えば、そんな気もする。
そんな折、貴婦人の声がする。
「おつよいのですね」
「貴方は……もしや……」
「プルメリア・ヨンゲスタと申します」
「これは、大変ご無礼を致しました。お妃さまになられる方に、名乗って頂くなど。どんな罰も覚悟しております……ハイネ・フォンクチュール、メルセデス家の執事です」
私は、確かに絶世の美女だと思った。南蛮の白生地に紫と黄のアクセントを利かせたドレスがよくお似合いだ。肌は白く、額が広く、髪色も眉毛も濃い紫色をしている。
「とんでもないです。エルンストも、今宵は無礼講だとはしゃいでおりますこと。お酒を一滴も飲まずに真剣に勝ち星を重ねる人がいて、思わず声をかけたのも私のほうです」
「お許しください、プルメリア様」
「いいえ……ゲフッ……ゲフッ……!」
プルメリア様が咳き込むと、直ぐに付き人が来た。
付き人は私に一礼をしてから、介抱する。
「……ハイネ殿。エルンストの推薦でスケルジャルディーノに呼ばれるくらい目をかけられている貴方に、一つお聞きしたいことが御座います」
私は、その認識は誤りだと感じたが、
「なんなりとお申し付けください」
と言葉を滑らせた。
「……私のような病弱な者が妃になることをどう思われますか? 何か内情をご存じないですか?」
私は「なるほど、確かに弱い」と思った。高貴な者として振舞っていても、言葉に覇気がない。
「お妃さまになられる方に、そのような助言は首が飛びます」
「なんでもよいのです。これから私はエルンストに気に入られないといけない。それが命綱なのです。ハイネ殿が、たかが乗馬で気に入られたことくらい、存じ上げておりますこと」
私は、もしかすると件のカードゲームの熱にあてられているかもしれない。
「公爵様は孤独です。同じものが好きな人を粗野にしませんよ」
「……同じものが好きな人を粗野にしないとは、思い当たるところが私にもあります」
私は、ほんの悪戯心で、
「ベリージャムがお好きです」
と、嘘をつく。
「どんなベリージャムですか?」
「メルセデス家の庭で採れる果物でこしらえたものが御座います。よろしければ、味見をなさってはいかがですか。一瓶、ヨンゲスタ家の邸宅へお送り致しましょう」
「あら! かたじけないわ! 送って頂けるかしら!」
「……僭越をお許しくださり、ありがとうございます」
それから夜がふけるにつれて、一人、また一人と貴族らが大広間を退出していく。
すっかり泥酔した者、負けて憔悴する者。
そしてスケルジャルディーノは真夜中に散会になった。
「ハイネ様の客室がご用意されています」
城の者に言われるがまま、私は案内される。
私は向かった先の客室で思わぬ人物と遭遇する。
篝火のような灯りを手に持って、薄暗い部屋で私を待っていた初老の男性。
「十二年前、貴殿は妻を失った。まだ心の傷が癒えていないと御見受けする。さぞかし私を恨んでいるだろうな?」
重臣のトーマスは、重い口調で話をする。
私は、自分の身に起こった悲劇を思い起こす。
当時まだ三歳の娘・エレーナを育てていた私達夫婦は、八歳のメーテル様の御世話係だった。メーテル様の御身体は毒によるものだ。御父上様らの死因も同様の毒だ、食事と一緒に少量ずつ口にしたが故に死亡した。食後に一気に口にしたメーテル様は吐き戻して死は免れた。盛った犯人として妻は連行された。
「メーテル様だけ助かった。貴方は疑われる。しかし、私があっさり処刑されれば貴方までは殺されない」
そんな言葉を獄中の妻から聞かされた。
トーマスは判決を下した裁判官。要は妻の仇にして一族殺しの片棒担ぎだ。疑り深い性格と、……たぶん自分の頭のできに自信があるのだろう、十分疑ったと見て大胆不敵なことをする。十二年前の件で、トーマスの人間的なデコボコは嫌と言うほど味わった。
「とんでもございません。妻の死が、トーマス様の判決によるものだとしても、逆恨みなど致しません」
私は、なにかこう上手くやろうとした。突然、何かが心に舞い降りてこんな恥知らずな振る舞いを促したのだ。もっと憎しみを露わにしてもいいのに。ただなんとなく、何の話をしにきたのか興味がある。……そうだそうだ、だからだ。だからこんなにへりくだる。
トーマスは、私の顔を斟酌するように眺めてからまた重い口を開く。
「今宵は折り入って頼み事がある」
「どうなさいましたか?」
「公爵二世は、メーテル殿を愛妾に迎えたいとお考えだ。快諾なさるだろう」
「なんですと! 愛妾に? それは初耳です!」
「子どもが好きなのだ」
「メーテル様も公爵様にご執心です!」
かつてメーテル様を殺そうとした人間の肩を持ったトーマス。
毒で子どもの姿のままのメーテル様を愛妾?
ここは憤然としてもいいはず。
それでも私は、平気で交渉をする。
トーマスは本題に入る。
「エルンストは色情魔の気がある。なんとかして発散する相手方を見つけねばなるまいと思っていたのだ」
私は、なんて失礼な奴だと思う。本当にメルセデス家の者を見下しているのだな。なるほど、私はどうやら本当に、謀略家で領地を牛耳る、そもそも奸臣だと思われて気に入られているな。仕えていた一族や妻の仇を討つ気など毛頭ない、要は恩知らずだと。
「プルメリア殿のような病弱で大人しい妃では、……ただでさえ操ろうとする奸臣が後から後から湧いている、いいようにやられてしまうだろう。ヨンゲスタ家の諸侯や貴人らも宮廷を牛耳ろうと画策していると聞く」
「トーマス様は、プルメリア様との婚約に反対をなさっているのですか?」
「そうだ。賢いエスメラルダ殿が相応しい。プルメリア殿が私に確認したのだ、公爵二世は本当にジャムが好きか、と。……好きだと答えておいたぞ」
「そうなのですね」
私は平然と言葉を交わす自分に驚いている。
まるで悪魔が操っているかのように、平然と。
「プルメリア殿はメーテル殿が御嫌いなのだ。だから今宵もハイネ殿だけ呼んだ」
「私に考えが御座います。メーテル様に茶会の機会を与えて頂きたいのです」
私は咄嗟に思いつく。ふつふつと仮面の下で憎しみが、気の遠くなる怒りではなく、ヘドロに化けて沈殿する。そして私の良心を溺死させる。
「公爵二世とメーテル殿が茶会をすれば、婚約が破棄されるのか?」
「間違いありません」
そして、この夜のことは内密になる。
翌早朝、私はメーテル様宛に厳封された茶会の招待状を受け取ると、まるで黒獅子から逃げるようにメルセデス家に戻る。
パッパカ、パッパカ、胸の鼓動のような音で、馬は駿馬のよう。
屋敷の前まで着いたときは、逸る気持ちを抑えるのが精一杯だった。
果樹園の庭を歩く。
目線の先には、戯れるメーテル様とエレーナ。
「おかえり! ハイネ! 実が熟しているよ!」
実った果実を沢山抱えて、ご機嫌も良さそうだ。
私はくすりと笑う。
「メーテル様! やりました! 公爵様の茶会に招待されましたよ!」
「やったあ! 私は公爵様の鏡になりたい! 私は公爵様のお馬さんになりたい!」
「メーテル様……」
「ハイネ! ありがとう!」
「茶会の席で『剣にはなりたくない』とおっしゃってください」
「?」
「お願いします。『剣にはなりたくない』と……公爵様に打ち明けて頂きたいのです」
「うん! いいよ! 確かに剣にはなりたくない!」
「……お願いします」
不思議そうにするメーテル様。
籠にはもぎ取った果実。
私は美味しそうなものを一つ選ぶ。
夕方、私は、家の者が選び抜いたジャム職人に会う。
「今から一瓶分をこしらえなさい。報酬は特等ですよ」
職人は丹精込めて特製ジャムをこしらえる。――メルセデス家の庭で採れた果物でつくったジャムで御座います。職人は深々と頭を下げて、銅鍋に入ったジャムを見せる。
私は思う。――なあに、メルセデス家の特注品になるのはこれからだ。ジャム職人に金貨の入った袋を握らせると、「貴方は、これが正当な報酬に見えますか?」と問う。
「意味がわかりませんと申し上げるわけにはいきません」
職人は誠実な人柄を崩さない。
――なら、いいか。
私は、職人を帰らせると、ライフル銃の火縄に塗る釉薬を銅鍋に垂らした。南蛮の魚油が含まれていると知りながら。――調合済みの釉薬は果物の匂いしかしない。私は匂いを嗅ぎながら、しめしめと思う。
そして、瓶に詰めた。
私は、好奇心に駆られて、空腹しのぎに釉薬を舐めたことがある。悪くない味なのだ。
翌朝、私は馬に乗ってヨンゲスタ家の豪邸に出向く。先方の使用人に手渡すのが最善だと思ったが、今の時期、食糧の類は最も警戒されているだろう。軽率にプルメリア様に差し出せば使用人失格だ。その程度のことであれば、躾られているはず。
私は、使用人に封筒を手渡す。
まるで厄介払いのように訝しげに。
使用人は、未開封の封筒に驚いて、困り果てた様子だ。
「スケルジャルディーノの席で、プルメリア様から少しでも情報が欲しいと言われたぞ」
「……はい、ハイネ様。そして、いかなる御用でしょうか?」
「言わせる気か! これは二心ではないかと……」
私は、あえて居丈高な態度を取り続ける。
封筒は紛れもなくメーテル様宛で、公爵様の封印が押されている。
使用人は、私の目の奥を覗き込むようにジトリと見る。
「私が勝手に開けて読めば、首をはねられます。お嬢様にお渡ししようにも、これは……。私が盗んだものと誤解されるのではないでしょうか?」
「そう思って、約束の品も御用意した! メルセデス家の庭で採れた果物のジャムだ!」
私は瓶を手渡す。
使用人は、
「こ、これなら! 間違いなくメルセデス様から頂いたとご理解くださるでしょう!」
と言って、そそくさと屋敷に戻っていく。
私は「長居は無用」とすぐに立ち去る。
――私は、一世一代の博打を意識した。勝つか、負けるか。
後日、若い少年のような小間使いが遠路はるばるメルセデス家を訪れて、破り捨てた封筒と、中身の招待状と、――手紙を届けに来た。
「ハイネ殿! 我ら、ヨンゲスタ家は貴公のお詫びの印で確かに許した! プルメリア様は果物の匂いに安心して、パンに塗ってお食事なさっているぞ! 剣術試合の皮を被った茶会も、好きにしろとおおせである!」
私は、小間使いを疑るような目で見ることを禁じ得なかった。
公爵様からメーテル様宛の手紙が、同封されていたとは計算違いだ。
小間使いは大役を果たしたと思ったのだろう、ホッとした表情になって、帰って行く。
私は、プルメリア様が本当にお召し上がりになっているかは五分五分だと思う。
――蝉しぐれ、湖水に浮かぶ藻にも似て、静まりかえれども、ひさしからず。
いかようにも解釈できる意味深な詩だ。
もしかすると、この詩を盗み読みさせたことでひと悶着あったかもしれない。
それから半月ほどの間。
メーテル様は、茶会で着ていくドレスをお悩みだ。
水色がいいのか、緑色がいいのか、と。
「公爵様の気持ちが鎮まるように、静まりかえっていろと仰せです」
私が助言をすると、メーテル様は大きな瞳でキョロリと私を見る。
「そうなの?」
「そのような詩です。婚礼を前に世間が騒がしいと、放っておいてくれともとれる」
「本当? 私が湖水に浮かぶ藻に似ているという意味ではないの?」
本当は、貴族らを湖水に浸していても、次から次へと小うるさい奸臣が湧くと言いたい。まるで吐き捨てられたような言葉遊びなのだ。そのお気持ちに言葉で寄り添うことは、メーテル様には難しい。
「メーテル様、プルメリア様を差し置いて寵愛を受けたければ、一か八か、秋の葉のようなドレスにしましょう。夏の風物詩のような色合いは、懲り懲りかもしれませんよ」
そして、茶会は開かれる。
公爵様は、剣術試合を見物しながら、
「そう来るとは思わなかったぞ。しかし、季節は移り行くもの。刹那、刹那にメーテルのような乙女が心を癒しに来る。次の季節を告げるように。貴殿は謁見で静かだったが、本当はでたらめな小娘だと聞くぞ? 今日も静かだが、どことなく噂に違わないではないか!」
と話す。
剣術試合の掛け声――。
怒号と剣が鎧に弾ける音。
同席を許された私は、声を殺して、様子を見ている。
「公爵様……。私は公爵様のペンダントになりたいです」
メーテル様は、公爵様を見つめるばかりで、剣術試合には目もくれない。
「試合を見ろ。剣のぶつかり合う音は心が鎮まるぞ」
メーテル様は、しぶしぶ剣術試合に目を向ける。
それから小一時間、静かにしている。
公爵様は、メーテル様の頭に手の平を乗せ、
「子どものように背が低いな」
と言う。
「公爵様の飼い犬になりたいです」
「試合を見ていても平気か? 凄まじい斬り合いだと思わないか?」
「公爵様……」
「なんだ、申してみろ。本当は恐ろしいのか?」
「私は公爵様の剣にはなりたくありません」
――ハッ!
公爵様は、目を見開いて、大きな口を開けて息を吐きだした。
ライフル銃の銃声のような乾いた音の固まりに似た、一瞬の笑い。
私は、そのまま笑うのだと思った。
「フッ! ハッ! ハッ! そうか! そうだったのだ! この心のわだかまりは!」
重臣のトーマスが、異変を察知して公爵様に駆け寄る。
私は次の言葉に耳をそばだてた。
「プルメリアとの婚約を破棄する……!」
トーマスは、ゾッとしたような顔をしているのだろう。
――私も、だ。
「プルメリアが『剣になりたくない』などと言うか? そんな発想もない虚弱な女を娶ろうとするから、奸臣が小うるさいのだ!」
「殿……!」
異変に気付いた武官が、駆け寄って跪く。
公爵様は、
「間違いない! 俺は見切ったぞ! メーテルのような子どもでも『剣になりたい』だの『なりたくない』だの言葉が出て来るのに! プルメリアは本当に弱い女なのだ!」
と声高らかに叫ばれた。
興奮が冷めない公爵様は、胸のペンダントを引きちぎるように取り外して、メーテル様に差し出した。
「やる! ペンダントになりたいと申したな! よいだろう!」
メーテル様の瞳がまた大きくなる。
――これは助言できない。メーテル様が間違えないことを祈るしかない。
メーテル様は、そっとペンダントを受け取ると、静かに公爵様の胸に押し当てる。
そして、ただ静かにそうしておられる。
「俺の胸にはめ込まれていたいと申すか」
「はい」
「よい。エルンストと呼べ、メーテル」
トーマスはどんな顔をしているだろうか。忙しいのはこれからだ。
私は、さもたまりかねたように、
「メーテル様。これではあべこべです」
と、耳打ちをして見せる。
公爵様は、
「いいのだ」
と言って、剣術試合の続きをはじめるよう、命じる。
それから二人は仲睦まじい様子で茶を飲む。
さあ、後戻りは許されない。
――茶会での一幕は、相当な話題になった。
私はトーマスの執務室に呼ばれる。
「貴殿はよくやった。後は私達家来が尽力する。エスメラルダ様との婚礼は絶対だ。貴殿らはしばらく首を突っ込むな」
トーマスは落ち着いた様子で、私にそう伝える。
「申し訳ございませんでした。メーテル様があのようなご発言をなさるとは計算違いでした」
「白々しいな……」
「は?」
「剣術試合を見てあのような言葉が出て来るのは女、子どもにはいない、絶対に、な。確実に貴殿の入れ知恵ではないか。……もちろん、頼んだのは私だ。しかし、あそこまで寵愛を受けろとは言っていない。まさか婚約者候補に躍り出るつもりではないだろうな?」
「滅相もございません」
――ドン! ドン! ドン!
扉を叩く音――。
「恐れながら!」
衛兵がトーマスの執務室の扉の向こう側から声を張り上げる。
トーマスは、
「なんだ、こんな時に! 入れ!」
と怒鳴る。
執務室の扉が開く――。
「プルメリア様が! お亡くなりになられました! 昨晩から発作を繰り返して、急逝なさいました!」
「な……! なんだと!」
「医師の診断は、持病のせいだろうと」
トーマスはすぐさま、私を睨みつける。
鬼のような形相だ。
――ハッハッハッハッハッハ!
扉の向こうから、公爵様の笑い声が聞こえてくる。
公爵様が入って来る――。
「トーマス! それ見たことか! プルメリアは弱い女だ! 病が祟って死んだ!」
私は、公爵様の顔を見られない。
――恐ろしい御顔をしていらっしゃるに違いない。
トーマスは私を睨みつけて目を離さない。
「今宵はメーテルを寝室に呼ぶぞ。善は急げ、だ……」
「お待ちください!」
「なんだ?」
「エ、エスメラルダ様……! 婚約者候補だった、エスメラルダ様を差し置くわけにはいきません! ミラノビッチ家に直ちに知らせます!」
トーマスは、間髪入れずに衛兵に向かって、
「殿は御乱心だ!」
と叫ぶ。
そして、勘を取り戻した様子で、
「エルンストはしっかりしろ!」
と、叱りつける。公爵様が子どもの頃に、トーマスは御目付け役だった。その時の口調だ。私は、十二年前の宮廷の権力闘争を思い出す。巻き込まれたメルセデス家。死んだ妻への弔意がふつふつと湧き上がる。私は、そうやって、あれだけ権力闘争を憎んでいたのに、折に触れて仕掛ける側に回る。
――私は、もしかすると生きて還れないのではいか?
しかし、そのような臆病な心を封じ込めるだけの高揚がある。
「お悔やみ申し上げます」
衛兵に連れられて自室へ向かう公爵様の足音と共に、笑い声は鳴りやまず、こだまする城内で、私は大博打の片方をものにしたと思う。あと一つの博打とは、エスメラルダ様を辞退に追い込むこと。
私は、
「トーマス様。家の者には明日帰ると伝えてあります」
と切り出す。
トーマスは呼吸を整え、
「あのな……。貴様がしでかしたことくらい想像がつくのだぞ? 殺したな? 件の特製ジャムだろう。私と交渉をする前々から殺すつもりだったのではないか。このままでは、私は殺人を手引きしたと誤解されるだろう。それはまずいのだ」
と言う。
「であれば証拠を示してくださいますか」
「なんだと?」
トーマスの声がまた荒々しくなる。
私は落ち着いた口調で、
「せっかく公爵様のご意向で、メーテル様が寵愛を受けられた日に、証拠もなく、犬猫のように始末されるわけにはいきません。トーマス様とて、まさか証拠もなしに『殺人を手引きした』などの罪で『処刑』されるわけがありませんよ」
「処刑……?」
「はい」
トーマスは呼吸を深める。
「貴様のその心胆が証拠だ」
「……」
「それに、誰も『処刑』だなんて言っていないだろう」
私は口が滑ったと思う。
トーマスへの敵愾心を悟られたか。
トーマスは続ける。
「私は、謂れのない者など見飽きている。しかし一理ある。貴様とメーテル殿を私の一存で処刑すれば、城で専横を働いたと見紛われる。そこにプルメリア殿の死の疑惑が重なれば、……私とて、危ない。少なくとも、あのような寵愛ぶりでは、今すぐには手が出ない。……今宵は休まれよ。しかしこれ以上、首を突っ込めば、命の保証はないぞ」
そして翌朝、無事帰路につくことが許される。
メーテル様は見送りに来た公爵様と抱擁を交わしてから馬車に乗る。
帰りの馬車の中で、メーテル様は公爵様の絵を描く。
「エルンスト様!」
「エルンスト様!」
私は、詩を書いている。――魂の還る場所は、死してなお人間らしいということ、我、傾国の志をもって、死に至らしめられる夜を泳ぐように。
「メーテル様」
「なんだ! ハイネ!」
「詩が書けました」
「……ハイネ?」
「歌えるように、覚えて頂けませんか」
メーテル様は便箋に書かれた詩を受け取る。
一文字、一文字、丁寧に復唱する。
「ハイネ! 私は、貴方にお礼を言いたい」
「いかがなさいましたか?」
「恋の痛みよ。どれほどエルンスト様に好かれても、まったく満ち足りることがない。けれどすべて、ハイネのおかげだ」
私は、
「慎みのない私をお許しください。もう少しの辛抱です」
と告げる。
屋敷に帰ると、私は即座に家の者を呼び、今度は画家を手配させる。
「火急の要件だ。町一番の画家を連れてこい。一刻も早く。朝でも夜でも構わないから、連れてこい」
二日後――。
家の者は大急ぎで画家を連れて来る。
「黒い獅子を描け! 褒美は特等だ!」
画家は目の前で描きあげる。――いいぞ! 絵は間に合ったか! あとは、エスメラルダ様が屋敷に来ることを祈るばかりだ。
その十日後――。
婚約を打診されたエスメラルダ様が屋敷を訪れる。
衛兵の警戒心は尋常ではない。
「トーマス殿より、プルメリアの死について疑惑をお聞きしました」
いきなり本題から入るエスメラルダ様は、表情こそ落ち着いている。
私は、思えば、いつ、どこで行き違いが起きてもおかしくなかったと振り返る。
「左様で御座いますか」
「応接間に通して頂きます。執務でお忙しいなら終わるまでお待ちします」
声は凛としていて、揺るぎない。
――お待たせするなど、とんでもない。
すぐに私はメーテル様を呼び、応接間で面会する。
エスメラルダ様は、こちらが差し出した茶など一切口をつけない。
衛兵の緊張感もひしひしと伝わってくる。
トーマスからどの程度、犯人説を信じ込まされているかが透けて見える。
私とメーテル様は並んで座って、この貴婦人の相談に乗る。メーテル様はこの方が恋敵だと理解していらっしゃる様子で、不機嫌そうに眺めている。
「何か、私に助言をしてみて貰えますか?」
「なんですと?」
「いいから、私に何か助言をして貰いたいのですよ!」
するとメーテル様が口火を切る。
「絵に描いてよ!」
「絵?」
「好きなら絵に描けるでしょ!」
――バアンッ!
メーテル様の小さな手が机を叩いて音が鳴る。
メーテル様は自分で描いた力作を机に叩きつけて、エスメラルダ様に見せる。
エスメラルダ様は引きつった顔で、絵を御覧になる。
「これが……エルンスト様? このような絵を描けば信用されるのですか?」
エスメラルダ様の口調が鋭い。
今度は私が口を開く。
「エスメラルダ様のために、前もって画家に描かせました」
ここぞとばかりに画家が描いた黒獅子の絵を御見せする。
エスメラルダ様はハッと息を飲む。
「公爵様を模した黒獅子です。これを公爵様に『私が描いた』と……」
――なっ……! だ、黙りなさい! 貴方! 本当にプルメリアを殺しましたね! そのような真似をして逆鱗に触れろとそそのかす! このような奸物がいるうちは、うかうかと嫁ぐことはできません! はっ……! なんということ! トーマス殿に伝えます!
エスメラルダ様がそう言うと、衛兵がこちらを睨みつけて身構える。
「どうぞ、今日はお帰り下さい」
私はとても低い声で言う。
エスメラルダ様は、衛兵に囲まれて速足で屋敷を退散する。
――どうぞ、お伝えください。
次の日の昼間――。
――パッパ、パッパ、タラッタ、ラッタ、パッパ、パッパ、パ。
軍隊のラッパの音で屋敷中が騒然となる。
公国軍の兵隊がぞろぞろとメルセデス家の屋敷を取り囲む。
私は、
「エレーナ。三日経っても私が帰って来なければ、城へ行き、誠心誠意、知っていることだけ話して天に祈りなさい」
と伝える。
エレーナはラッパの音が恐ろしい様子だ。
――まあ、無理もないか。
メーテル様は平気な様子だ。
「ハイネ!」
「はい」
私は固く心臓を握り込むように返事をする。
メーテル様は、
「エルンスト様は任せなさい」
と、いつになく大人びた口調で言う。
私は、メーテル様と庭に出る。
「証拠は?」
「証言があれば十分だ!」
――重臣・トーマスの怒鳴り声。もはや一刻を争うと感じたか。エスメラルダ様の証言を根拠に私達を捕らえるか。
メーテル様は怖気づくことなく、
「エルンスト様にお会いしたいです」
と言う。
「トーマス様。私が書き上げた詩です」
私は便箋に書かれた詩を、トーマスに差し出す。
トーマスは斟酌するような顔で受け取って黙読する。
「自首か」
「はい」
私は、重い口調で返事をする。
トーマスは、溜息を一つ吐き出してから、少しだけ朗らかな顔になる。
「ハイネ殿、よく決断した。これで貴殿が勝手にやったことだと証明される。私の身も無事だ。メーテル殿は一夜を共にして頂く。貴様は終わるまで見ていろ。寵愛を受けるメーテル様を見届けて、翌朝、あの世行きだ」
私はメーテル様と共に、馬車に乗る。
手錠などは無い。
「安心しろ! 良い詩じゃないか! メーテル殿は愛妾となるのだ!」
――城に着くと最後の晩餐。
謁見の日に通された部屋でメーテル様と共に食事をする。
衛兵が監視している。
私は助言ができない。
どのみち終わる。当たり前の幸せに包まれたければ、誰かの当たり前の幸せになることだ。メーテル様の御父上様が、生前におっしゃっていたことには、とにかく背く。
食べ終わると、石造りの城の廊下を案内される。
私とメーテル様は公爵様の寝室に案内される。
メーテル様は一言も話さない。
私とトーマスはカーテンを挟んで扉側で待機する。
私はカーテンの向こう側から漏れる音に耳をそばだてる。
――メーテル。そなたもはかりごとが好きか?
公爵様の声――。
音が、真実よりもメーテル様の御気持ちを探しているように聞こえる。
公爵様は、無言のメーテル様に怒り、剣を抜く。
――なぜ黙っている! 殺すぞ!
そして全く動じないメーテル様に、
「口が聞けないのか? まさか本望とでも?」
「……口を聞かぬか?」
「そうか、ならば今宵は飼ってやろう。犬だ、メーテルは」
と言う。
メーテル様はようやく口を開く。
「魂の還る場所は、死してなお人間らしいということ、我、憂国の志をもって、死に至らしめられる夜を泳ぐように」
「そなたが書いたのか?」
公爵様の声が穏やかになる。
「ハイネの本当の気持ちよ!」
「やっと口を聞いたな!」
明るい声で返事をするメーテル様に、公爵様はお喜びになる。
――フッ! ハッ! ハッ! ハッ! トーマス! おい! トーマス!
カーテンの向こうでトーマスを呼ぶ声がする。
公爵様は、カーテンの中へトーマスを呼び出すと、剣で切り裂く。
音――。
血しぶきは天井まで飛び散る。
血まみれのトーマスの身体が、部屋の境目に倒れ込んで、私は中の様子を見ることができる。
「エルンスト……。どうして……?」
「トーマス。すべて貴様がはかっておるのだな?」
「ちがいま……。うっ……」
「詩を偽り、ハイネの自首として俺に握らせたな! なにが『傾国』だ! 『憂国』の間違いではないか! トーマスから聞いた話は無効だ! だからエスメラルダの証言は無効! 二人は不問!」
トーマスは、
「ああ、神よ。エルンストをお許しください」
と哀しげな声を絞り出して死に絶えた。
公爵様は、
「望んだか?」
と、私にお尋ねになる。
「滅相もないことです」
「俺は! 本当に心癒せる乙女と添い遂げたいだけだ! 貴様はもう引っ込んでいろ! そうだ! ちょうどいい! 処刑具にでも詰めるか!」
「お許しください」
――ハハハハハ! 俺は! 王になるぞ! 王になるのだ! ハハハハハ! 見届けろ! ハイネ! 誰が何と言おうと! 王になるのだ! 税を重くし! 軍備を整え! 外国のものを貪る王になるのだ! 貴様はメーテルと共に見届けていろ!
長い夜のはじまりのスケルツォ。
メーテル様、どうか御無事で。
私は、この数か月間と、十二年前の権力闘争の悲劇とを重ねる。
メーテル様は毒の後遺症で子どものままではないか!
メーテル様は、この国の一番大きな宝石になるべきなのだ。
本当はずっとそう思っていたのだ。
それが、私腹を肥やす貴族どもへの最大の復讐劇にもなる。
プルメリア様には大変申し訳ないことを致しました。
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