漫画でわかる②・カール・マルクス『共産党宣言』で説かれた「労働者組織」

初めは個々の労働者の闘争であり、やがてひとつの工場労働者の闘争となり、そしてある場所のひとつの労働部門の労働者と、彼らを直接搾取する個々のブルジョワ階級との闘争となる。労働者たちはブルジョワ的生産―関係に攻撃を向けるだけでなく、生産―用具それ自身へ攻撃を向ける。労働者は競争する外国商品を破壊し、機械を打ち壊し、工場に火をつけ、失われた中世の労働者の地位を再び獲得しようと努力する。【引用:『新装版 新訳 共産党宣言: 初版ブルクハルト版(1848年)』p51 カール・マルクス (著), 的場昭弘 (著, 翻訳) 】

 プロレタリアは、自分たちを雇うブルジョワに対して抗議をした。①労働時間の短縮、②賃金の引き上げ、③労働環境の改善、④児童労働の規制、⑤労働組合の結成権、団体交渉の権利獲得、などを要求した。はじめは一対一で、次に工場単位で、さらには地域単位で労働争議は行われた。ただし、その発展段階は「多面的」だった。

この段階では、労働者はあらゆるところに分散しただけでなく、競争によって分断された集団である。労働者による集団の結合は、独自の結合の結果ではなく、ブルジョワ階級の結合の結果である。ブルジョワ階級は自らの政治的目的を達成するためにプロレタリア階級をすべて利用しなければならず、当面そうすることが可能だからである。したがってこの段階では、プロレタリアはまだ自分の敵と闘うわけではなく、その敵の敵、すなわち絶対王政の残滓、土地所有者、非産業ブルジョワ、小ブルジョワと闘うのである。すべての歴史的な運動は、ブルジョワ階級の手の中にこのように集中しており、達成される勝利はすべてブルジョワ階級の勝利である。【引用:『新装版 新訳 共産党宣言: 初版ブルクハルト版(1848年)』p51 カール・マルクス (著), 的場昭弘 (著, 翻訳) 】

 闘争が始まった段階では、ブルジョワ同士が結合していれば労働者集団は結合し、ブルジョワ同士が競争していれば必然的に分断されていた。階級単位で見れば、ブルジョワがプロレタリアを利用しつくしていた。
 左翼とは、要は一枚岩だという理解は不完全なものだ。たとえばクリームパンが不足している者とジャムパンが不足している者とが結託する事で、パンの不足に対して抗議する力は増す。そもそも抗議が必要な理由は、逆に「足りている(=不足が無い)」という者達が、自分達を充足させる経済循環を団結して守ろうとするからだ。充足という意味合いであれば彼らは一枚岩なのだ。それに対して抗議をするため、何らかの不足ある者達は団結すべきだ、それが左翼だ、と。これは不完全な理解だ。
 マルクスはより詳細に現実を直視していて、上段の喩えに乗るなら、クリームパン工場の経営者は、クリームパンが不足している者を雇って、働かせて、教育して、経済的にも政治的にもジャムパン工場と競い合っていた、と。その結果、ジャムパン工場が潰れれば、クリームパン工場に雇われた労働者は助かるけれど、同じ様にジャムパン工場に拾われたかつてのジャムパン不足者は御陀仏だ。
 これは、恐らくはパンの過剰生産恐慌が起きているという理解になるだろう。であれば、マルクスの述べている事には通底があるといえる。結局、ブルジョワ階級が「ほどほどの恐慌」を自ら引き起こして致命的な破滅を回避しながら、ブルジョワの一個人ならいざ知らず、ブルジョワという階級そのものを盤石にする(階級単位で見れば依然他の階級を支配(=独裁)し続ける)事に貢献させていたのだ、プロレタリアを。そして時代が進歩するほど、ブルジョワの敵は疲弊して行った。マルクスの論述は要素論的ではなく、全体論的なのだ。全体としてどのような様相が浮かび上がるかの注目度が高い。

プロレタリアの階級へのこの組織化(※労働者の自発的な結合段階)、そしてそれによる政党への組織化は、またいつも労働者間での競争を通じて阻止される。しかし、この組織はさらに、強く、たくましく、力強く復活する。労働者組織は、ブルジョワ階級の分裂を利用しながら、労働者の利益に対する承認を法的形態として強制する。その例は、イギリスにおける一〇時間労働法である。【引用:『新装版 新訳 共産党宣言: 初版ブルクハルト版(1848年)』p52 カール・マルクス (著), 的場昭弘 (著, 翻訳) 】

こうしたあらゆる闘争においてブルジョワ階級はプロレタリアを呼び出し、助けを求め、政治闘争に引き入れる必要があった。したがってブルジョワ階級自らプロレタリア階級に独自の教育形態、すなわちブルジョワ階級に対する武器を与えるのである。【引用:『新装版 新訳 共産党宣言: 初版ブルクハルト版(1848年)』p52-53 カール・マルクス (著), 的場昭弘 (著, 翻訳) 】

 全ブルジョワを倒す為の闘争には、労働者の団結組織が必要であると同時に、それで十分だとマルクスは述べる。「私はプロレタリアだ」というだけで結束した労働者組織、つまり全プロレタリアの労働者組織が出来ようと、出来まいと、ブルジョワは相変わらず労働者を教育し続けるしかない。ブルジョワは「恐慌を以て恐慌を制す愚かなウィザード」なのだ。

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