イスカリオットの砥石(第1回StellaJeanコンテスト 映像化原作大賞応募作品)

  イスカリオットの砥石  作・藤倉崇晃

 一

 段ボール箱に荷物を詰める。長年暮らした実家と別れる。壁に貼られている音楽家のポスターを見ると「一度くらいライブに行けばよかったなあ」と嘆息する。ポスターを剥がさず、新居に持っていく荷物にも含めない。それでいて何かが名残惜しく、軽くほこりを払う。部屋にあるものを仕分けているうちに、少年時代に塾通いをしていた頃の学習参考書や、当時習っていたピアノの教材も見つかる。昆虫採集のノートや、描いた漫画なども見つかる。なにせ長年暮らした家を出るから、どれも手にとっては物思いに耽ることしばしだった。
 中でも特に目を引いたのは一つの砥石だ。
 砥石とは刃物を研ぐものだ。
 他の思い出の品々とは、どこか一線を画して異質なものだ。
 自分にとってなんなのか、最初は全く意識しなかったが、手に取ってまじまじと見つめると、遠い日の記憶が蘇ってくるようだ。
「思い出した。これは嫌なものを見つけた」
 この砥石には嫌な思い出がまとわりついている。
 そうだ、僕は刃物を研いだことがあった。
 小学四年生の頃に、父の部屋からナイフと一緒に砥石をくすねて研いだ。それはもう一生懸命にナイフを研いでいた。父はナイフだけ没収したのだろう、砥石だけがこんなところにある。
「お父さんのナイフで身を守っていた」
 僕は、ナイフのほうを思い起こして、空に描いてみる。柄の部分は当時自分の右手からはみ出るような大きさだった。刃渡りも長く、凶器と呼ぶにふさわしいものだ。ナイフの柄を右手で握って感触を確かめてから、折りたたまれている切っ先を器用に取り出した。そして光沢のある鋭利な部分をマジマジと見つめて、ギラリとした光に魅せられた。これを持っていると強そうだと念じたこと。
 ある雪の日、僕は、何か思う所があって、雪玉を握りしめてあけすけに放り投げた。その一撃が、どうしたことか、上級生の一人に当たってしまった。一目散にその場を逃げて、逃げおおせたと思ったのだ。
 しかし、すぐに犯人が僕であることを突き止められてしまった。出来事の数日後には上級生の集団に暴力を振るわれた。殴る、蹴るの暴行、石も投げつけられた。僕はすっかり観念してしまい、難を逃れたくて、品田という少年を上級生に売った。彼は大の友達だった。「品田の指図でやりました」と偽の告げ口をしたのだ。恐怖が勝って、思わず品田を上級生に売った。
 難を逃れた僕は、懸命にナイフを研いで、いざとなったら身を守れるように備えていた。
 品田は、やはりひどい仕打ちを受けた。僕達の間に行き交う言葉はなくなり、事実上の絶交となった。とても嫌な思い出だ。
 僕は我に返って、引っ越し作業の続きを進めるにも、どうにも覚束ないし、嫌なことを思い出したと、何度も独り言を言う。段ボール箱を積んでは、大して重くもないのにうんと疲れた様子でうなだれる。新生活が待っていると思っていたはずの心が急にしおれたように、うんざりして、天井を見つめる。そんなことを繰り返している。
「駄目だ。昨日のことのように思い出されて、とても恥ずかしい。悔しい。品田は僕を恨んでいないか。あの人達も、もう大人になって何らかの暮らしをしているはずだ。小学生の彼らを思い出して、哀しみ、憎しみや怒りが込み上げるのは、あってはならないことだろう。もとはと言えば、僕が全部悪いのに。そう思うと、とても恥ずかしい。悔しい」
 小学四年生のあの出来事の前後で僕の友達グループは大きく変わった。小四の残りの期間は孤立を深めていたが、すぐに五年生に上がると、新しい友達の輪の中にいた。僕は裏切ったまま、都合よく全てを忘れていた。やがて、親のすすめで中学受験をする。高校、大学、大学院と進んで今の学歴になる。四月から就職する大手企業で新卒一年目を迎える。
 なんとか気を取り直して引っ越しの準備を進めた。

 二

 僕が行動に出たのは、この日の昼食を食べた後だ。
 品田のフルネーム、「品田恭介」でインターネット検索をして、出て来るウェブサイトを一つひとつ確認した。いままで一切このようなことをしなかった理由が、特段にあるわけではない。あまりにも長い時間、僕が陥れたのにもかかわらず、品田の存在をただ忘れていた。
ホームページや、ソーシャルメディアがヒットすれば、いくらか情報を得られる。
 検索結果は、病院のホームページだったり、同姓同名の大学教授だったり、関係ないものが大量にあり、調べても意味がなかったかと思われた。
 僕は次第に苛立ち、なんとかして品田の現在を知りたいと思う。
「一昔前は、こうやって調べものをされるから、インターネット上に自分のコンテンツを貼るなというドグマが一定の支持を集めていた。あれ、嫌いだったな。悪意に屈したみたいで」
 もしかするとここでいう悪意の側にある僕だが、この発言は僕の粘り強さの表れでもある。僕は、注意喚起する大人達の言葉尻に屈して、ソーシャルメディアに自分のアカウントを作ることなど、怖くてできなかったくちだ。今では小学生が動画配信サイトで有名人になるものだから、間が悪く、何か悪意を肯定する古い人間に窮屈を強いられた感覚があるかもしれない。あるいは、いま品田を調べていて、上手く行かず苛立っているのかもしれない。
 そしてとうとう品田が自ら開設したと思しきホームページを見つける。
 僕はまず驚いて、目を疑った。まさか、巨大企業がつくるプラットフォームを頼るのではなく、一からブログサイトを作って、自分の情報を発信していたというのか。
「品田はこんなことやっていたのか」
 僕はカチカチと至る所をクリックする。トップページのカバー画像には大きなイラストが貼られている。可愛いイラストだけれど、人工知能などを頼らずに描いたと思われる。その隣に等身大の品田の写真が合成されている。まるでイラストのキャラクターと、品田が夢の国で邂逅したような不思議な扉絵だ。それだけではない、一つひとつが凝った作りた。長い時間をかけて手作りしたことがよくわかるものだ。開設した日付を確認しようとして、最も古い記事を探り当てると、僕達が中学生の頃だった。まだ人工知能が発達していない時期だ。
 記事はたくさんあり、どれも笑顔の品田が見える。日常の中にある幸せを丁寧に、訪問ユーザーに伝える内容で埋め尽くされている。僕は、心が軽くなっていくのを感じながら、画面の中の品田を見つめる。その一つひとつが、僕と絶交した後の品田の歴史のように思える。
「品田は元気そうじゃないか!」
 品田は無事健全な暮らしを営んでいた様子だ。コンテンツの中に、交際相手と思しき女子の写真が貼られていた。大きな瞳の女の子と、その黒い髪をなでおろす品田のツーショットなど。付き合い始めたのは高校生になってすぐの頃だろうか。
「品田はこんな可愛い子と付き合っていたのか。今も続いているのか?」
 僕は上の歯と下の歯の間に何かが挟まったような顔をしているだろうか、女の子を眺めて、しばし茫然とする。けれどまた朗らかな表情に戻っただろうか、品田のブログを読む。終始落ち着いた様子でマウスを動かしているだろう。カチカチとクリックしながら、品田の残した記事を読む。思わず笑みがこぼれる。
 全ての記事を読むのに小一時間がかかった。
 最後の記事にはこう書いてあった。
「高校二年生も十一月になりました。僕は彼女と付き合って、一年と半年が経ちます。ずっと同じ彼女で嬉しいな。友達で、今、三人目の彼女と付き合ってる人がいるけれど、それも一つの幸せの形だと思います。十人いたら、十人が違う幸せを思い描くと思います。先月、僕達は東京ドームで野球の試合を見に行きました。そのときの写真をアップロードしていなかったので、アップロードします。可愛い、彼女。幸せです」
 この記事を最後にブログの更新は止まっていた。幸せの絶頂にあるかのような品田の述懐で、手作り感たっぷりのブログサイトは中断されている。その後は閉鎖や削除ではなく、インターネット空間に投棄され続けているようだ。ソーシャルメディアに移行したのだろうか。
「面白いブログだったけれど、続きが気になるな。品田の家に行ってみようかな」
 僕は、品田の家を一目見たくなる。品田のコンテンツは明るく、見たものに幸福感を与えるような好ましいものかもしれない。品田を一目見てみたい。直接本人に会いたいというよりは、むしろ遠目にチラッと見て安心したい心境だ。

 三

 僕は、日中であるのをいいことに、品田家の場所へ出向く。品田家は徒歩で行けるような場所にあるはずだったから、どうしようもないくらい品田家の場所が鮮明に思い出された。
 その道中は小学生時代によく通った道だ。僕は朗らかな顔をしているだろう。かつての通り道を通り過ぎていく。小学校を卒業して以来、不思議と全く通らなくなった道だ。上級生から暴行を受けた場所の近くを通る時、あの頃見た古びた看板が、まだフェンスにぶら下がっている。あの当時、目の高さにあったものだ。僕の背丈が、もうとっくに伸びて大人になったこともよくわかる。
 僕の胸中にじわじわと込み上げてくるのは、今日、インターネットで品田を探して正解だったと思う、勝利の感情に他ならないだろう。きっと僕は「嫌な思い出を掘り起こしたうえで片付けた」と思って、こうやって意気揚々としているのだろう。
 僕はあっさりと目的地に着く。品田家は空き家だった。
「いないのか。引っ越したのかな」
 窓の中を、遠目に覗いたり、二階を見上げたり、脇の通りから目を凝らしたりしても、空き家のようだ。ブログサイトを眺めて、どこか許された気持ちになってここまで来た。けれど、もぬけの殻になった品田家を見ていると本人との和解がまだだったことを意識する。そんな気持ちが徐々に立ち込めて来る。無言の建造物と、口をきかなくなった頃の品田とが重なる。でも、あんなブログを自分で開設するのだから、品田はいいやつだし、僕のこともとっくに許しただろう。そんな自分勝手な空論を思い描いても、どこか満たされない。
「そうだ、小林の家もこの近くだったはずだ」
 僕は、やはり品田の居場所が知りたくて仕方がないから、小林の家に向かう。僕は、よく一緒に遊んだ小林の家も鮮明に思い出したのだ。もちろん小林家も引っ越した後かもしれないし、まだ実家があるとしても小林本人がいる保証など何処にもない。冷静に考えれば出て来た家の者から丁重に断れられるかもしれなかった。
 けれど僕は不思議な遠慮のなさで呼び鈴を鳴らす。
「山川です」
 小林の家を眺めていると、子ども時代をよく思い出す。一緒に遊んだ日も、口論をした日も全てがよい思い出だ。小林はどんな乗り越え方をしたのだろうか。出来ることなら小林本人が玄関から顔を出して欲しい。
 しばらくして家から小林の母が出て来る。
 小林の母は、玄関口から顔を覗かせると、僕が誰だかわかった様子で、
「山川君? 進士くんよね? あら、こんにちは! 山川さん、かしらね! 大人になって!」
 と驚きつつも懇切丁寧に挨拶をする。
「来月就職なのです。小林さんはお元気ですか?」
「あら、地元を離れるのにわざわざ挨拶に来てくれたの? 悠馬は結婚を機に、大宮公園駅の近くに引越してしまったわ!」
 僕の突然の訪問にもかかわらず、小林の母は息子の居場所を大雑把に伝える。
「そうだったのですね。お忙しいところ、教えて下さり助かります。どうもありがとうございます」
「あれ、かしら? 品田さん?」
 小林の母は、遠慮のない様子で、僕に尋ねる。その目は疑るような視線ではなく、親切心が滲み出た眼差しだった。僕は、本当は品田を一目見たくてこの界隈に足を運んだから、思わず言葉を詰まらせる。
「さっきね、うん、山川さんが品田さんの家のあったあたりでウロウロしているのを見たの。だから、もしかしたら品田さんがいると思ったのかな?」
「はい。実は、品田さんにも挨拶をしようかと」
「品田さんはね、自殺してしまったの。山川さんの家のほうでは噂にならなかったの?」
 僕は、もしかすると、言っている意味がわからなかったかもしれない。悪ふざけでそんな事を言うはずないと思いつつも、信じられない。ただ、納得のいく、いかないでいえば、一切納得がいかない。そんな表情をしているかもしれない。
 小林の母は、少し待っていてねと言って、玄関口から自宅に戻る。ものの五分程で再び玄関口に出て来た時には新聞記事が握りしめられていた。
被害者が匿名で報道された殺人未遂事件の報道だ。品田は事件の被害者の一人で、後に自殺したという。もう一人の被害者が件の恋人だという。事件発生から相当な時間をかけて捜査が行われた。品田本人が「知らない人に刃物で切り付けられた」と証言したからだ。品田が何を思って自殺したかは不明だという。軽傷だった恋人が訴えを継続して捜査は続いた。犯人は結局、隣県に住む無職の四十代男性だった。容疑は殺人未遂のままだった。
 僕は、あっけにとられて、品田の身に起きたすべてを飲み込めないでいる。それは同時にある疑問を沸き立たせるものだ。品田はなぜ自殺したか? 
だから、とても不躾な質問だと思いつつ尋ねる。
「小林さん、すみません。今日僕は、小学四年生の頃を不意に思い出して、品田さんを訪ねに来たのです。品田さんとは、もう十年以上前ですが、絶交してしまって、そのままお別れだったのです。絶交のきっかけとなった上級生からの暴力は、僕が原因だから謝りたかったのです。何かご存じないですか?」
 小林の母は、ほんの一瞬、眉をひそませたかもしれなかったが、丁寧に教えてくれる。
「悠馬が知っているかもしれないから、今度、会ってみたらいいかもしれないね。連絡先を教えてあげるね」
 そう言って、その場でメモ用紙に電話番号を書いてくれた。
 僕はメモを受け取ると、
「教えてくれて、助かります。どうもありがとうございます」
 と御礼を言って、その場を去る。

 四

 自宅に戻るまでの道で、何台かの車とすれ違ったかもしれない。まだ日が落ちるような時刻ではないが、行きと帰りで心の持ちようが全く異なる。品田が路上で切り付けられたうえ、自殺したことを知った。犯人は、通り魔か? もしかするとインターネットで品田を知った人が、幸せそうなコンテンツに腹を立てて、わざわざ探し出して襲ったのだろうか? その辺りが謎だが、もしも後者だとしたらどうだろうか。
一昔前に公共放送の番組で公然と報道されたことだ。
「ソーシャルメディアやインターネットで自分のプライバシーを報道する人は、渋谷のスクランブル交差点で個人情報の書かれたプラカードを持って立っているようなものだ」
 僕は、こういう正論めいた発言、――人の悪意の威を借るがごとき箴言が鬱陶しくて嫌いだ。現に猫も杓子も動画配信サイトにかじりつく時代になったら、晒上げや特定が一気に流行らなくなっただろう。そうやって創作意欲が勝利したのだから、あのコメンテーターは出て来て謝罪しろとさえ思っていた。品田のブログサイトは素晴らしい試みだと思ったし、少なくとも僕の罪をすっかり洗い流してくれたと思ったのに。品田の事件は許せないし、人の悪意や、悪意の威を借る訓戒が、品田にだけ襲い掛かって「それ見たことか」と言っているかのようだ。
 僕は帰宅すると、なんとなく郵便受けを確認する。
 ただなんとなく、郵便受けを開けて中身を見ると何も入っていない。大して広くもない庭の石段の上を歩いて玄関口へ向かう。春先の空気は、土と虫けらの這ったような匂いが混じる。四月になったら仕事で忙しいだろうから、三月中に知りたいことを調べられないだろうか。
 僕は自分の部屋に戻ると、もはや他にやることは無く、小林に電話をかける。
 小林は、あっさり電話に出てくれた。どうやら母親から僕が電話をすることを知らされていたようだ。母親はこのわずかな時間に、てきぱきと動いてくれていたのか。もしかしたら思う所があったのかもしれない。僕の最後の質問を聞いて感じ入るものがあったのかもしれない。
 小林と通話していると、小林はもったいぶらずに、
「そしたら、明日会えないか?」
と誘ってくれた。
 それも小林が今、住んでいる大宮公園駅前の市営団地だ。小林は十年来会っていない僕を居間に通すという。
 僕は、ありがたく思い、
「明日の正午に行く」
 と伝えた。

 五

 次の日は、午前中に家を出て、バスと電車を乗り継いで行く。徒歩で行くには流石に離れすぎているし、都合よくバスが走っているわけではなかった。経由駅で軽食を食べて大宮公園駅まで向かう。
 小林家のある大宮公園駅前の市営団地に着くと、大人になった小林が嬉しそうに立って待っていた。誰でも出入り自由だが、一応、関係者以外立ち入り禁止という札が貼られている。小林と一緒に団地の大きな玄関口を通りながら、僕達は思い出話に花を咲かせた。
 小林の妻は、僕達の共通の同級生で、栗原朱里という人物だ。
僕があまり思い出せずにいたら、小林は安心した様子で、
「覚えてないのか! ああ、よかった!」
 と言うから、僕は不思議だった。
 小林家の居間に通されると、僕は思い出した。
 ああ、あの栗原か、と。
 栗原は嬉しそうに、
「山川君が尋ねて来てくれた」
 と言って、茶を入れてくれる。
 僕はさっそく品田の話をする。
 小林と栗原も、前もって知っていたからか、品田の話をする。
「山川がやらかした件は、最終的に当時の六年生が終わらせたんだよ。五年生だろ、喧嘩になったの。アイツら少年野球で仲良しグループだったんだよ。そしたら剣道やってる六年生が出て来て、お前ら騒いでんじゃねぇよって。俺も一緒にしばかれそうになっていたから、あの時は助かった。山川は最初だけやられて、後は無事だったよな」
 小林はそう言って思い出話に花を咲かせるように、笑う。
 まるで、とっくのとうに過去だと僕に伝えているかのように。
 けれど僕にはいくらか違和感があった。品田は自殺という凄惨な最期を遂げた。僕はその件で訪ねて来た。小林は明るすぎやしないかと。
 僕は、小林と栗原の話を聞きながら、こうやって平気で、平然とあの過ちが許されるものかと疑う。だったらなおさら、品田は一緒に未来に行くべきだっただろう。なんで自殺なんてしたのか。そんな残念な気持ちが湧く。もちろん品田の胸中は、小林や栗原とは異なるからそうなったのだろうけれど。
「品田のウェブサイトを見たんだ」
「ああ、あれな!」
 小林は、先刻まで明るく話していたけれど、この話になって急に歯切れが悪くなった。中学時代はパソコンで描いたイラストや、旅行の写真が多かったとか。親から買ってもらった携帯端末について詳細に説明していたとか。高校に入ってから彼女が出来ると、その話ばかりだったとか。ブログの内容をなぞるような話をする。次第に小林は赤面して、目は少し涙ぐんでいるかもしれない。
「なんでまだ閉じていないんだ?」
「あれは、な。うんとな」
 小林は、丁寧に話をしようとして、鼻をすする。
 それから栗原が入れたお茶を一口飲んで、フッと息を吐くと、教えてくれる。
「品田なりに、想いがあって始めたんだ。今ならわかると思うけれど、品田の家って大きかったろ。アイツ、裕福な家の子だったんだよ。もしかしたら、山川のせいで上級生にしばかれたのもキッカケかもしれない。他人と幸せを分け合いたかったんだ。同じ中学だったから、俺も相談に乗ったよ。イラストの描き方とか。開設したのは、丁度、俺と朱里が付き合い始めた頃だった。高校に入ってから彼女自慢ばかりだったけれど、もしかすると俺達の影響かもな」
 小林は、悲しい気持ちを堪えているのがよく分かる。
 鼻声で、思いの丈を打ち明ける様に話す。
「犯人って?」
 僕は、核心に触れる。
 小林は、うんと頷いて答える。
「品田の恋人は山村さんって言ってな。写真で見ても綺麗だったと思うけれど、実物はもっと綺麗だったんだよ。通り魔じゃなくて、ウェブサイトで目をつけたんだって。嫉妬心による犯行だって、当時事件を追ってたジャーナリストから聞いたよ」
 栗原は、小林の話を聞いていた。栗原も悲しそうな顔をしていて「嫌な事件だった」とか他人事の感想を言うのではなく、むしろ品田の痛みがわかるような表情を浮かべて黙っている。
 僕は、教えてくれたことに礼を言って、話題を変えようとする。本当は「ならなぜ自殺した?」と質問をしたかった。ただ、何から何まで教えてもらっているから、これ以上、問い詰めるような真似は不躾にも程があるだろうと思った。小林の話を聞く限り、二人は、うまく品田の死の乗り越えられずに困っていると察しがついた。ただ、「小林と栗原が悪いんじゃないよ」と言ったところで、何かが変わるだろうか? 僕は、そんな言葉が軽薄に放たれることを恐れて口を噤んでしまう。品田がなぜ自殺したのかわからないのに、励ましようがないと、冷徹な思考でそう思って、自分の判断に念を押す。
 僕は仕事の話をした。小林はゲームプログラマーになったらしい。僕はシステムエンジニアになるから、いくらか話が通じた。そうしている間に栗原が「薬局に行く」と言う。その後、男二人で話をしていると、小林が思いがけず昔話をしてくれた。
「朱里は、小学四年生の頃、山川のことが好きだったんだよ。山川が気にしていたあの出来事は、朱里にとって結構大きな出来事だったんだ。山川が急に卑怯者になって、孤立して、それが新学期になったら新しい友達が出来て」
「そうだったんだ」
「今日、会えてよかったと思うよ。だから会いに来てくれてありがとう、な」
 小林がそう言うと、僕はそそくさと起立した。
 そのままトイレを借りて、栗原によろしくと言って、僕は玄関を出た。
 帰り道で僕は、品田が自殺を決意したとき僕の顔が思い出されたかどうか、悩んだ。もしも僕との和解が済んでいれば、品田は死を踏みとどまったのだろうか? その可能性はゼロではないし、もしかしたら、過去の裏切りは致命的に品田を死に追いやっていたかもしれない。
 自殺をする人は何を思うのだろう? それは果てしない問いだ。この世界が陳腐だと不貞腐れたことを誰かに伝えたいのか? それはとても僕が個人的に思うことだ。品田に限っては何だった? 哀しみ、憎しみ、怒り、それらの噴出先が無い虚しさ、虚無感は死神に化けるのか。それとも命を狙われた恐怖から逃げ出すことができなかったのか。だとしたら、なんでウェブサイトを閉じない。ウェブサイトを閉じて、生きながらえればいいだろう。
 僕はやりきれない思いで、電車に乗り、またバスに乗って帰宅する。
 バスで揺られながら、
「品田。なんで死んだ」
 と思わず呟いた。
 午後のまだ明るい時刻に帰宅したから、近所を少し散歩した。歩いていると、公園に差し掛かって、僕は中へ入って行く。誰も彼も無防備な姿で、談笑したり、遊具で遊んだりしている。足の裏から伝わって来るのは、自分の体重の反作用だと理科で習う。僕の右側に誰もいない。左側にも誰もいない。その中間に僕がいます。ここから、ここまでの空間に一人の人間がいます。肉体があります。それは僕です。僕は悩んでいますが、この世界は安全です。大丈夫ですよ、ここは安全です。やはり、今こうやって感じているものが突然脅かされたのか。品田は恐怖に負けたのか。
 すると、公園にいたはずの人たちが急に姿を消した。
 僕は、どういうことだろうかと思うより先に、目の前が真っ白になる。そして膝から崩れ落ちる様に、地面に倒れ込んだ。
 なんだ? なにが起きた?

 六

 僕は目を覚ますと、周囲の環境が激変していることに驚いた。ここは近所の公園ではない。行き交う人々の風貌を見る限り、日本ではない。どこかのテーマパークだろうか? だとしたら大規模過ぎる。遠くまで煉瓦の建物があって、大きなお城も見える。煙突から黒い煙も出ている。なんとも現代とは思えない不思議な場所にいる。もしかすると、ここは産業革命期のヨーロッパのどこかかもしれない。イギリスか、ドイツか、まったくわからない。なぜこのような別世界にワープしているのか?
 夢を見ているのだろうか。しかし身体が動く。足の裏から自分の体重の反作用が返って来る。それはそれとして、やはり公園で突然倒れて夢を見ているのか。僕は、ああっと大声をあげる。以前に怖い夢から起き上がるとき、そうした。
 大声をあげていると、道行く人が怪訝そうに僕を見る。その顔が異様にリアルだ。まるで本物の人間に見える。道の真ん中にいたから、後ろから来た馬車に「どけ」と怒鳴られる。
 これは本当に別世界に迷い込んだのかな? 思考が追いつかないが、ここで突っ立っていても仕方がない。僕は歩き出す。歩き出すと、道行く人が僕の顔をジロジロと見て来る。言葉が通じるのか、通じないのかわからないけれど、なんだろうなと思ったから、「僕の顔が不思議ですか?」と日本語で尋ねてみる。すると、幸か不幸か日本語で返事が返って来る。
「わっ! ビックリした! 声までそっくりですね!」
「え?」
 僕は意思疎通が出来ることも不思議だったけれど、返事の内容も気になった。僕は、この世界で誰かにそっくりらしい。僕が話しかけた相手は、僕を興味深そうに眺めて、尋ねてくる。
「貴方は誰ですか? どこで暮らしているんですか?」
「山川進士です。記憶喪失です」
 僕は、口から出まかせ半分、そのように返答する。
 道行く人は、親切そうに頷いて、
「変わった名前だね。仕事がないなら労働者組合に行くといいよ」
 と言って、街の中心部にある場所を教えてくれた。
 僕は、まだ夢の中で遊んでいるつもりだったから、そこへ行って話を聞いてみた。住む場所も、仕事もないなら、街の工場に行くと、理由も聞かずに雇ってもらえるという。僕は、遊び半分でこのよくできた夢を楽しんでみようと思ったから、言われるがまま、その工場とやらに行ってみた。煙突から黒い煙が出ていたけれど、ここで働けるというのか。夕方頃に辿り着くと、身元の確認など一切なく、本当にその場で作業服を着せられて、大きな蒸気機関の掃除の仕事を割り当てられたのだ。
 僕は夢の中にいるからか、一向に眠くならず、翌日の朝まで働いて、賃金をもらった。工場の人たちも、僕の顔をまじまじと見て、「似ているね」と口々に言う。一体、誰に似ているのだろう。
 僕が思ったのは、疲れない、お腹も減らない、眠くもならないのだから、働く必要は全くないのではないかということだ。しかし受け取った通貨がなければ出来ないことがあるのも事実だ。文無しでは馬車や列車に乗って移動することが叶わない。
「畏れ多いことだから、誰も名前を言わないんだね、イスカリオット伯爵だよ」
「イスカリオット伯爵?」
「あんた、畏れ多いことだけどイスカリオット伯爵に似ているんだよ。もしも見たければ、今日も公開処刑をするだろうから、街の広場に行くといいよ。馬車で行きなよ、有り金で足りるよ」
 公開処刑ってなんだろう? 僕は、嫌な予感がしつつも好奇心にかられて見に行く。

 七

 広場に着くと、まさに公開処刑が始まる所だった。見物人でごった返す広場の真ん中で、罪人として捕らえられた人物が火あぶりになろうとしている。彼は手錠をはめられ、首輪もつけられているから、見るからに罪人だ。
広場の中央で指揮をとっている人物が、イスカリオット伯爵なのだと容易に想像がついた。確かに僕に似た顔をしている。それはとても奇妙なことだが、それだけではない。刑吏と思しき人達は顔が異様に幼い。図体だけ大人と比べても大柄で大きいが、小学生くらいの顔だ。
「なんだ、一体」
 僕は思わずそう呟く。それはとても小さな声で言った。衆目に囲まれた広場は、騒がしかったから、誰にも聞こえないと思う。まして、広場の中央でせわしなくするイスカリオット伯爵の耳に入るなど、考えられない。
けれど、イスカリオット伯爵は突然、こちらをギロリと睨む。
 確かに僕を睨んでいる。
 まるで僕の声が聞こえたかのような反応だ。
「招かれしものよ、とくと見よ」
 イスカリオット伯爵は意味深にそう告げると、魔術で、罪人の顔の形を変える。
 罪人の顔は徐々に変化する。
「品田!」
 僕は思わず声をあげる。
 するとイスカリオット伯爵は、刑吏に命じて罪人に火をつける。
 罪人は生きたまま焼かれる。もうもうと煙をあげて、焦げた肉の匂いがこちらまで立ち込めて来る。品田の顔は苦痛に歪む。声をあげてのたうち回る。けれど口から感謝の言葉を叫ぶのだ。
 品田の歪んだ顔は、
「ご覧くださり! ありがとうございます! 皆様!」
 と感謝を表明している。
 その姿が異様に不気味で、どこか滑稽だった。彼が黒焦げになって焼け落ちるまで、延々と見せつけられた。
 黒焦げになった罪人の死体には布が被せられる。
 イスカリオット伯爵は告げる。
「謝肉祭へと移行する」
 すると、刑吏は罪人の遺骸を包んだ布をえいと広げる。死肉は黒焦げだったはずなのに、なぜかみずみずしい人肉に変化しているではないか。見物人達は待っていましたとばかりに、人肉に群がる。
 何をするのかと思えば、やはり手でちぎって食べる。
 嬉しそうに人の肉を食べている。
 おいしそうに食べ漁っている。
「幸福! 幸福! 幸福! 幸福!」
 やがてそんな喝采が聞こえてくる。
「イスカリオット伯爵、万歳! イスカリオット伯爵、万歳!」
 喝采を浴びたイスカリオット伯爵は 僕のほうへ一歩ずつ歩いて来る。
「面白いことを言うから、儀式に招待したのだ。生贄は多いほどよいと言ったな?」
 僕は、どういうことだろうかと思うより先に、目の前が真っ白になる。そして膝から崩れ落ちる様に、地面に倒れ込んだ。
 なんだ? なにが起きた?

 八

 再び目が覚めると、僕は公園の路上で立ち尽くしていた。ここは近所の公園だ。さっきまで別世界にいたはず。戻って来られたのだろうか。もしかすると数分間くらい、立ったまま意識を失っていたかもしれない。
 僕は夢を見たのだ。その内容をよく覚えている。産業革命期のヨーロッパ風の世界で働いた。賃金を受け取って、広場に行った。そこには僕がいて、いじめっ子に指図する。品田は処刑されると聴衆に感謝して見せた。後は、よくわからない意味不明なものだ。暗示だろうか? 現実の品田は、まるで僕の指図で生贄になったようなものなのか? そう考えると思考が湧く。
 もしかすると、品田は僕を慰めようと思っていたのかもしれない。品田は、いつか思い出した僕が罪悪感に苛まれるのを見越してウェブサイトを始めた。現に僕の胸は軽くなった。しかし、それが引き金となって刃物で襲われた。様々な理由でこの世を去る際、当初の目的を意識してウェブサイトはそのままにした。
「まてよ。だったら、なんで僕に会いに来ない。僕に会って、その後の顛末を打ち明けないのはなぜだ?」
 そう口走った瞬間に僕は思い出した。僕はナイフを研いでいたのだった。それを品田は知っていたのだろうか。上級生達も急に手出しをしなくなったけれど、僕が武装したことを知っていたのだろうか。僕は、皆の前でこれ見よがしにナイフを取り出して見せただろうか。人前でナイフを研いで見せただろうか。
「思い出せない。やったかもしれない。品田は、僕に恐怖したかもしれない」
 僕は家に帰るまでの道で恐ろしくなった。
「僕が直接殺したわけではない」
と思ったときに、見た夢が異様にしっくりきた。

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