BACK NUMBER 作・藤倉崇晃
土曜日の朝、私は洗面台の鏡に映る自分をまじまじと見る。バーコード頭と、ただれた頬が、五十歳の典型だと思う。
「キモイ」
娘の言葉が思い出される。まだ、テレビに映る若い男の子が好きな年頃なのだろうか。
私はドレッシングの製造工場に勤務して二十年以上が経つ。職掌は工場長。年収は八百万円ある。娘に不自由などさせていない。庭付きの一軒家然り、昨春から通っている大学然り。
――私は、昨日の朝の会話を思い出す。
金曜日の朝。
私は、自分で作った朝食を食べ終わると食器をてきぱきと片付ける。娘の食器がシンクに置かれている。娘は洗い物まではしないが、食器をここまで下げる習慣はきちんとある。
娘は、居間のソファに腰かけてテレビを見ている。
「まだ、行かないのか?」
「しらねえし」
返事はすぐに返って来る。つっけんどんで荒々しい声で、父親を邪険にする。
何か明るい話題をしたらいいのかと思う。
「彼氏はいないのか?」
「いらねえし」
娘はそう言うと、だるそうに立ち上がる。
私は、いつもの会話だと思いながら、一つ尋ねる。
「彼氏がいるのなら、写真くらい見せてよ」
これには返事が返ってこなかった。
娘は、足音と共に部屋を出ると、玄関から出かけて行く。
――学校へ向かったのだろう。鞄も持っていったのだろう。
妻と他界してから、私達親子は工夫が足りない。娘の言動は、少し幼い気がする。しかし私の娘に限って、危ない目に遭ったわけではないだろう――。
私は、居間でテレビをつけ、土曜のバラエティ番組を見る。
若い女性タレントとアナウンサーが出演している。娘より五歳か、六歳くらい年上だろうか。娘も、いずれは、すっかり落ち着いた風貌になるだろう。
電話をしても出ない。
「何かあったのだろうか?」
私は所用で、ターミナル駅の近くにある大きな郵便局に向かう予定だった。
このまま家で娘を待つべきか悩み抜く。
私は、仏壇に線香をあげると、心なしか安堵感がわく。
「そうだよな。母さんも見守っているのに、理央に万が一のことが起きているはずないよな。帰って来たら、昨晩どこにいたか父親らしく問い詰めるぞ」
――その瞬間だった。
インターフォンが鳴る。
私は慌てて、スピーカーのボタンを押すと、野太い声がはっきりと私の名前を呼ぶ。
「西田則夫さんですね?」
私は、どきっとする。
「はい」
返事をする。
二人組の大男が玄関までやって来る。
男は警察手帳と思しきものを見せながら、
「警視庁の今泉です」
「竹中です」
と挨拶をする。
私は、はっとした顔をする。
刑事二人は顔を見合わせて、頷く。
「お話があります。今から、一緒に池袋警察署に来てください」
――警察署で、私は刑事から事の顛末を聞かされる。娘は死亡。ホテルの浴槽で溺死だという。男を死体遺棄の容疑で逮捕した。
「彼氏ですか?」
刑事はそう言って、容疑者の顔写真を見せる。
私は全く見た事のない、黙っていれば俳優のような清閑な顔立ちに目をやる。
「まったく知らないです」
「お金に困っている様子はありましたか?」
「いいえ……。何も不自由させていないと思っていました」
それから私は、質問にひたすら答える。一つ、一つ丁寧に答えて、娘はこんな人だったと、わかるように説明する。自分でも驚くほど、言葉が落ち着いている。
「ご自宅を家宅捜索すると思います。嫌がらずに応じてください」
「家宅捜索って……、理央は何をしていたのですか?」
私は、思わず刑事に尋ねてしまう。
刑事は冷たい口調だ。
「捜査情報は教えられません。今後も我々の聴き取りには応じてください」
――理央は死んでしまった。
娘の亡骸の写真も見た。即日の司法解剖で対面できないという。――まあ、そうだよな。警察は国の捜査機関であって、被害家族の仇討代行業者じゃないのだからさ。お別れ会のために捜査を中断するわけがないよな。刑事の質問も、どちらかというと加害者の罪が軽くなり得るような事柄の確認が多かった気がする。風俗店で働いていましたか? とか。
警察署から出て来た私を待ち構えていたのは、ジャーナリストと思しき男性だった。
彼は、やたら親しげな顔で名刺を渡す。
「川尻隼人です。報道番組の記者ですけど、いいですか?」
「報道番組?」
「はい、今日の事件をテレビで報道したいです。もうネットニュースにはなりましたけれど」
「はあ……」
「ストーカー殺人ということにしようと思います」
「ストーカー?」
私は耳を疑う。
この川尻という男は、仮にも心の病んだ人を相手にお調子者のような口調で話す。
「加害者は性行為依存症だったのですよ。父親は池袋の繁華街にあるビルの経営者です。建物は上から下まで風俗店。遊び放題だったと聞きます。些細なことで被害者と口論になって、カッとなって殺した。この説が鉄板ですよ。警察は、いまその裏取りで動いている情況ですね」
――それで娘が風俗嬢だったかどうか、知りたいのか。
「あんたね……」
「もしかして、娘さん、風俗店で働かれていましたか?」
「そんなはずないでしょう!」
私は怒りをあらわにする。
川尻は、真顔で私の顔をジッと見る。
「それで、『娘はストーカーに遭っていました』と証言してください。会社の部屋で録音します。いいですか? 今からついてきて貰えますか?」
「言っている意味が全然分からない」
「世間が、『風俗の女の子が内ゲバで殺された』と思っている所へ、『いいや、実はストーカーだ』という番組を差し込んでいくわけですよ。皆、気になってテレビにかじりつくと思います。そのほうが視聴者のウケがいいのですよ。可哀想だなって思ってもらえる。昔ながらの話題です」
私は、精も根も尽きて、笑う川尻の言うことをただ聞いている。
よくもまあ他人の不幸で飯を食いたいと思ったものだ。
「あと、これ、娘さんの携帯電話ってことにします。警察より早く、入手した。押さえたって部分を強調したいのですよ」
「これ?」
私は、川尻が差し出した偽の携帯電話を見て、思う。
――全然、理央のセンスじゃない。
「違う。もっと、サイケな感じのものが好きな子でした」
「はあ? まあ、そう言わずに、『これは娘の携帯電話です』と証言してくださいよ」
私は、思わず笑ってしまった。
――ああ、でも理央が死んだのは本当なのだな。こんなひと悶着が起きるのだから、本当に殺されたのだ。
「川尻さん、ごめんなさい。理央はもっとサイケな感じのものが好きな子だったのです」


コメント