グローバル化は終わるのか

――世界経済の転換点を考える
 近年、「グローバル化は終わったのではないか」という議論を耳にすることが増えた。象徴的だったのは2016年である。アメリカでは自国優先を掲げるトランプ政権が誕生し、同じ年にイギリスではEU離脱(いわゆるブレグジット)の国民投票が行われた。いずれも、それまで当然視されてきた「国境を越えた経済統合」に対する反発を背景にしていた。

 実際、統計をみても2010年代後半以降、世界経済における貿易の伸びは鈍化している。世界GDPに占める貿易額の比率は、2008年の金融危機前後をピークに伸びが止まり、「ハイパー・グローバリゼーションの時代」は一段落したとも言われる。

 ――では、そもそもグローバル化とは何だったのだろうか。
 一般にグローバル化とは、資本・モノ・サービス・人の移動が国境を越えて拡大する現象を指す。具体的には、欧米の投資家が日本企業に投資したり、日本企業が海外に工場や支社を建てたりするような動きである。この動きは決して最近始まったものではない。東アジアの視点から見れば、19世紀の、――アヘン戦争の時代から、すでに世界経済のネットワークに組み込まれていたとも言える。西欧列強の軍事力を背景に、貿易体制が強制的に開かれたからである。

 第二次世界大戦後になると、自由貿易を中心とした国際経済体制が整備される。特に1980~2000年代は、貿易と投資が急速に拡大し、「グローバル化の黄金期」とも呼ばれる時代だった。
――日本もその中心にいた。
 1960年代以降、日本企業は積極的に海外直接投資を進め、アジアや北米に工場を建設した。1980年代にはアメリカとの貿易摩擦が激化し、日本企業の海外進出は現地で「日本がまた攻めてきた」と揶揄されるほどだったと言われている。
 同じ頃、アメリカでは、――双子の赤字(財政赤字と経常赤字)が問題となり、金融市場では機関投資家による海外投資が活発化した。資本の国際移動はこの頃から急速に拡大していったのである。

 グローバル化の世界では、企業や国家は国際市場で競争することになる。
 そのため、国内の経済政策にもある種の「整合性」が求められた。

 例えば、①規制を緩和する、②独占を防ぎ競争を促す、③市場メカニズムを重視するといった政策である。
 こうした考え方は一般に「自由化」や「新自由主義」と呼ばれ、1990年代以降、多くの国で採用された。
 国際競争に勝つためには国内市場も競争的であるべきだ――。
 このロジックは、グローバル化の時代には一定の説得力を持っていた。

 ――しかし近年、この前提が揺らぎ始めている。

  • 米中対立によるサプライチェーンの再編
  • 国家安全保障を理由とした産業政策
  • エネルギーや半導体など戦略産業への政府介入

 こうした動きは、単純な自由市場の論理とはやや異なる。

 つまり現在の世界経済は、「グローバル化の否定」というよりも、国家が再び経済に関与する時代に入りつつあるのかもしれない。
 この問題は、日本国内の政策にも関わってくる。
 たとえば地域活性化の議論では、「民活(民間活力)」という言葉がよく使われる。民間企業の力を使って地域経済を活性化しようという発想である。その一環として、プラットフォーム企業の参入を促したり、規制を緩和したりする政策が提案されることも多い。
 しかし、もし世界経済がグローバル化の次の段階に入っているのだとすれば、単純な自由化だけで地域経済が活性化するとは限らない。
 むしろ、地域産業の育成、公共投資、技術政策といった、国家や自治体の役割が改めて重要になる可能性もある。

 グローバル化は確かに世界を大きく変えた。
 しかしそのルールは、今まさに書き換えられつつあるのかもしれない。
 問題は、日本の経済政策がこの変化にどう向き合うかである。
 私たちはまだ、その答えを見つけているわけではない。

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