小説・ハシビロコウの王子様

  ハシビロコウの王子様  作・藤倉崇晃

 僕は、担任の先生からテストの答案を受け取る。
 三年生の二学期に、三回あるテストの三回目だ。
 思っていたより、点数が低い。
「これでは、いきたい高校に受からないぞ」
 先生の厳しい声が、ひびく。
 僕は、県で一番目に勉強が出来る高校を目指している。
 でも、入学試験で落ちるかもしれない。
 二番目の高校なら、受かるかもしれない。
 この点数は、友だちには内緒にしておこう。
「大地くん。テストはどうだった?」
「大地くん。どうだったか教えてよ」
 僕は、友達の声に返事をしない。
「大地くん。さては、あんまり良い点数ではなかったね」
「大地くんは勉強ができるから、僕より良い点数でも、がっかりするよね」
 僕は、皆の声が、少し遠くに消えていくのを感じる。
――ごめん。みんな。僕はいい高校にいきたい。なぜなら、皆より、頭がいいから。その証拠に、科学のコンテストで賞状を貰ったことがある。
 だとしたら、この点数はなんだというのだ。
 この点数は、秘密だ。
 そう思ったのに――。
 休み時間の廊下で、片山さんに見つかった。
「こんにちは。大地くん」
「こんにちは。片山さん」
「大地くん、いきたい高校にいけそう?」
 僕は、どきっとする。
 片山さんは、明るい声で言う。
「私と同じ高校を目指しているの、大地くんだけなんだよ」
 片山さんは、生徒会長だ。
 賢くて、はきはきしている。
 将来は、科学者になりたいらしい。
 僕は、
「うん」
 と、曖昧に応えて、教室に戻ろうとする。
――僕は、一番目の高校に入れないのかもしれない。
「大地くん。まって」
 片山さんは、僕の背中を手の平で叩く。
 まるでカスタネットのように。
「大地くんは、頑張り屋さんだから、頑張る理由があれば、もっと頑張れるよ」
 片山さんは、さては僕の点数が低いことに、気がついてしまったな。
 僕は情けない。
 片山さんは、廊下を歩いて、自分の教室に戻る。
 片山さんが、残していった空気。
 まるで、透明なクレヨンが、人の形に塗られた痕のようだ。
――僕は、もっと頑張れないか。頑張る理由を見つけられないか。

 次の日は土曜日――。
 学習塾で、僕と片山さんは同じ教室になる。
 僕は一番後ろの席に座り、斜め前に座る片山さんを見る。
 背中を丸めて、熱心に問題を解く。
 ああやって、頑張ることが、なんでできない。
 まるで、そこだけ透明のクレヨンで塗ったようだ。
 僕は、教室の時計を見る。
 あと一時間だ――。

 次の日は日曜日――。
 夜、家族と晩御飯を食べていると、お父さんに言われた。
「片山さんには将来の夢があるのだろう」
 その瞬間だった――。
 テレビにかっこいい鳥が映った。
 大きなくちばし。
 鋭い目。
 ――ハシビロコウ。
 水色のような、灰色のような、不思議な色をしている。
 アフリカの鳥――。
 ライオンも、ジャガーも入れない、どろどろの湿地帯は、足を踏み入れたら、沈んでしまう沼地。
――僕は、イメージする。人間の力では、歯が立たない、強い猛獣たち。彼らが、ぬかるみに沈んでいく。百獣の王ですら、襲い掛かれない、聖域。
 ハシビロコウは空を飛べる。身体も軽い。沈むことはない。
 ハシビロコウは、獲物の魚をじっと見つめる。
 そして――
 バシャリッ!
 大きなくちばしで、魚を捕らえる。
 もしもあのくちばしが、僕についていたら、どうだろう。
 おへその上のあたりまで、くちばしかな。
 魚を丸呑みにする。
 そういえば小さな魚だった。
 ハシビロコウは湿地帯を低く飛ぶ。
 誰も、彼を捕まえることはできない。
 自分より弱い生き物しかいないと、確信して、飛んでいる。
 ハシビロコウは巣に帰ると、子どもに、獲った魚を食べさせる。
――まさか、子どものためだったとは! わざわざ水の中を睨みつけて、探していたというのか。子どもでも、丸呑みにできる小さな魚を。
 湿地帯の王様だ。
 僕は興奮を抑えきれない。
 そのとき、テレビが言う。
 ――絶滅危惧種です。
 ある動物が、地球からいなくなることを、絶滅といいます。
 とても数が減って、いつかいなくなりそうな動物を、絶滅危惧種といいます。
 科学者たちは、いなくならないように研究をしています。
 岐阜大学の先生です。
――こんなかっこいい動物が、絶滅していいはずない。僕には神聖な生き物に見える。翼を広げるハシビロコウは知らない。仲間が、消えかかっていることを。それは、残酷なことだ! あの歪み無い視線が、とても悲しい輝きになってしまう。人間はその事実を知っている。だから助ける。
「僕は、ハシビロコウが絶滅しないように手伝いがしたい! 僕も科学者にならなければ!」

 ハシビロコウは、どんな生き物か、解明が遅れている。
 研究のために、捕まえる。
 大切に保護する。
 それらすべてが、科学者の手で、行われる。
 日本に連れて帰って、病気になっては、いけません。
 人間が罹る病気と、鳥が罹る病気は違います。
 動物のお医者さんが、必要です。
 生態学の博士も、必要です。
 皆、一丸となってハシビロコウの保全に、力を尽くします。
 僕は、本当に子どもだった頃は――。
 いろんな大人が、かっこよかった。
 働く大人が、みんな。
 まるであの頃に戻ったように、僕は、科学者に憧れます。

 次の日――。
 担任の先生に教えて貰いました。
「だったら、いきたい高校は、一番目に勉強の出来る高校にしなさい。岐阜大学は、とても優秀な大学だ。県で一番目に勉強の出来る高校でないと、とても、とても、そのまた三年後に合格できたものではない」
 そう言われて、僕はわかりました。
 僕に逃げ場はない。
――ハシビロコウを助けたい! 湿地帯の王様にふさわしい、繫栄が、約束されるべきだ。
 僕は、先生に「勉強をがんばります」と言って、決心したことを伝える。
 専制は、うんと頷く。
「大地ならやり抜ける。絶対に合格するのだ」

 ある日――。
 また、廊下で片山さんとすれちがう。
 一年生の頃は、片山さんのほうが、背が高かった。
 片山さんの目が、下から僕を見る。
 僕は、同じ高校でまた会うまで、お話しすることはなにもないと思う。
 しかし――。
「大地くん!」
 片山さんは、また僕の肩を叩く。
 まるでカスタネットのように。
「目指す高校を変えちゃったってほんとう?」
――なんだと? それは間違いだから、説明しないと。
 僕は、慌てて目を合わせる。
「いいえ。僕は片山さんと同じ高校にいくよ」
「本当?」
「本当だ」
「私も、ほんの少し、もしかしたら不合格になるかもしれないと思って、くよくよしていたの」
「なんだと!」
「でも、大地くん。私と一緒に合格するつもりなのね。わかったよ」
 片山さんは、優しい言葉で言う。
 僕は、つい口を滑らせるように、
「英語が悪かった。挽回するぞ」
 とだけ、伝える。
 片山さんは、うんと頷いて、
「そうだったんだね」
 と言う。
 
 ある日――。
 教室の友達にからかわれる。
「大地くん。片山さんには点数を教えたって本当?」
「感じ悪いぞ、大地くん。頭のいい人同士で、仲良くして」
――今の僕には夢がある。
 でも、夢って言いにくいなあ。
 クラスの友達がふざけて、僕の肩を叩く。
 僕は、
「点数はいきたい高校には、少し足りないから、もっと勉強がしたいんだ」
 と言って、肩を叩き返します。
「大地くん。頭いいんだから、大丈夫だよ」
――ハシビロコウの目。
 何も恐れていない目。
 広げた翼を見てみたい。
 ハシビロコウは日本にもいる。
 上野動物園で、飼われている。
「大地くん。そんな、睨むなって」
「大地くん」
「大地くん」

 次の日曜日――。
 晴れた日の空の下、僕は、電車に乗って、上野駅まで向かう。
 電車を乗り換えるとき、沢山の人とすれ違う。
 これだけ多くの人に囲まれて暮らしている。
 僕は電車の中で、英語の勉強をする。
 電車が、上野駅に到着する。
 上野駅で降りる人は、沢山いる。
 ――公園口を出て、向かう先は、上野動物園。
 僕はハシビロコウの檻を探す。
 案内をみて、「アフリカの動物」のコーナーへ向かう。
 外国から来た、観光客で一杯だ。
 レッサーパンダの近くの檻だ。
 僕は、そこへ目がけて、まっしぐら。
――勉強をがんばる約束がしたい。
 ハシビロコウは、いました。
 立った姿は、僕の胸の高さまである。
「なんと、こんなに大きな鳥なのか」
 上野動物園に、ハシビロコウは四羽が暮らしている。
 黄色の輪が足についているのは、ハートゥーウェというオスだ。
 巣のような、草がしかれた小さな部屋で、口を大きく開ける。
 片足をあげたり、首を曲げたり、毛づくろいをする。
「まったく、動かない鳥だと、聞いていたけれど……」
 水槽に、エサの魚が泳いでいる。
――食べるところを見られるか。
 しかし、ハートゥーウェは、電球の明かりの下から一歩も出てこない。
「さては、日本の冬が寒いのだな。微かに暖かいのだろう」
 僕は、もう一羽を見る。
 青色の輪が足についているのは、サーナというメスだ。
 こちらは、毛づくろいすらしない。
 本当に、じっとして動かない。
 佇まいは、賢い老人にも似ている。
 ぴくりともしない。
 足の先が、かっこいい。
 ハシビロコウは、カラスのように鳴かない。
 くちばしを鳴らす音を立てるらしい。
 ――カタカタカタ!
 音を鳴らすだけ。
 近所の公園の、我が物顔のカラス達なんて、相手にならないだろう。
――聞かせておくれ。
 僕は、サーナにお願いをする。
 ここまでやって来たのだ。
 聞かせて欲しい。
――そうだ! 翼を広げておくれ。見せて欲しい。
 すると、ハシビロコウは、僕に背を向ける。
 見せてくれないか――。
「ハシビロコウは絶滅してしまうのですか?」
 僕は、たまらず、職員さんに話しかけます。
 職員さんは、丁寧に教えてくれます。
 ――とても数が減った動物は、子どもを残したいオスとメスが、同じ時間、同じ場所にめぐり会いにくいよ。だから、絶滅危惧種になった動物は、放っておくと絶滅してしまうよ。もしかしたら、つがいになる相手が、本当は地球のどこかにいるかもしれないのに。
「教えてくださり、助かります。ありがとうございます」
 僕は、職員さんに御礼を言って、おじぎをして、家に帰ります。
 ハートゥーウェ、サーナ、きょう会えなかった二羽。
 もう少し暖かくなったら、僕は高校に合格する。
 それを伝えにもう一度、ここへ来るよ。
 その時は、翼を広げて見せておくれ。
 ――どんな勉強でもやり切ってみせます。

 家に帰ると、晩御飯が用意されています。
 お父さんは、僕に聞く。
「動物が絶滅しないように、工夫をするのはなぜなのだ? 人間の手で、生き残らせるのはなぜなのだ? もしも絶滅したら、自然の審判ではないのか?」
 僕は、最初、大人から教わった言葉で、答えようとする。
 自然の審判ではなく、人間の経済活動だ、――ダムをつくったり、牛を飼う場所を広げたりすることで、ハシビロコウは住まいを奪われるのだ、と。
 だから、別の人間たちが、ハシビロコウを保全する努力をするのだ、と。
 しかし、とても嫌な予感がする。
 僕は、僕が思ったことを、力一杯の声で答える。
「絶滅するとき、最後に独りぼっちになったハシビロコウは、何を思うのだろう。自分と同じ姿、形をした生き物が、誰もいない世界は、とても孤独だ。それは、生活の中で、友達と少し上手くいかないこととは違う。地球で起きる出来事の結末だから、仕方がないとは、思えないよ」
 お父さんは、僕の答えを聞くと、
「そんなにかっこいいのか」
 と言って、笑う。
「うん」
「じゃあ、いいや」
 お父さんは、何かとても難しいことを言おうとしたかもしれないけれど、安心した様子だ。

 その夜――。
 僕は、夢にハシビロコウの神様がでてくる。
 僕は、知る。
 誰かに飼われている犬や猫も、愛されている。
 地球上の生き物の全てが、愛されているわけではない。
 人間が、薬を撒いて、死んでゆく虫たち。
 愛されている生き物を食べるという理由で、殺されていく生き物もいる。
 生き物はいつか、誰かが、愛したから、生き残っている。
 そうか、お父さんは、それが気になるのだ。
 人類が愛したものばかりが生きている地球になるのか、と。
――その答えは、とっておきなさい。岐阜大学に合格して、沢山の勉強をして、わかった日までとっておくのですよ。
 科学者が、自然を切り取る。
 解明できた部分だけを、集める。
 人類はそれらが自然だと、錯覚する。
 アフリカの湿地帯で、謎に包まれたまま、地球上から姿を消すかもしれなかった、ハシビロコウ。
 僕が、科学者になって、自然を解明しつづければ、いつか答えのわかる日が来ますか。
 その夜、ハシビロコウの神様は、また僕に会ってくださいますか。

 ――もうじき、二学期がおわる。
 あの後ろ姿は、片山さんだ。
 透明なクレヨンが塗ってある。
 僕は、躊躇わず、話しかける。
「片山さん!」
「わっ! どうしたの? 大地くん」
「片山さん。僕は科学者になるよ」
「本当? 私と同じだね!」
「好きな鳥がいる」
「鳥?」
 片山さんは、面白い話を聞かされたように、笑う。
 片山さんは、冗談のように両腕を広げる。
「どんな鳥?」
「ハシビロコウだよ!」
「知らないな」
「そうだよね。知らないうちに絶滅しそうなのだ。僕は、岐阜大学にいって、生態系を保全する、科学者になるよ」
 僕は、自信を持って、そう言う。
 片山さんは、
「夢ができたんだね! 岐阜大学にいけるといいね。私は、東京の大学がいいな」
 と言って、嬉しそうだ。
 僕は、伝えられて良かったと思う。
「何色の鳥かな?」
「え?」
「何色をしているの?」
 片山さんは、いつになく、興味深そうに聞いて来る。
 僕は、教えてあげようと思う。
「不思議な色さ。水色でも、灰色でもない」
 片山さんは、
「わかった」
 と言って、廊下を歩いて教室に戻っていく。
 一歩、一歩、歩いて行く。
 手を、こちらに振る。
「今日、私に教えたことを、ずっと覚えていてね」
 片山さんは、優しい声で言う。
 僕は、一瞬の風に吹かれたように、
「合格するぞ!」
 と叫んでしまうのだった。
――すると。
 片山さんは、廊下を小走りにこちらに戻って来る。
「大地博士!」
「え?」
 片山さんは、僕を「博士」とよぶ。
――なんだろう?
「あっ……。しまった! ここは過去の世界だったな。大地くん、私は未来から、タイムマシンでやって来た。まだ十五歳の君に、今、何を伝えるべきか」
 片山さんは、まるでお芝居をするみたいに、首を傾げて見せる。
「大地博士は、約束を守りました」
 片山さん――。
 片山さんとも、約束ができた。
 上野動物園のハシビロコウとも、ハシビロコウの神様とも、僕は約束をした。

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