小説・空蝉

  空蝉  作・藤倉崇晃

 高校の野球部。――夏休みのグラウンドの隅から、さらに外れた所に一年生の部員。
 俺は、身体は大きく、中学時代は四番打者だった。しかし、全く練習に興味が持てない。何の気なしに高校も野球部に入ったが、思いのほか厳しく、すっかり情熱を失って、ただ時間を潰しているだけ。

 蝉の鳴き声がする。
――ちっとも涼しくない日の水しぶきのように、どこか清らかな音色だ。

「羽田、またそがいなところで涼んどるんか?」
 結衣は高校から知り合った、クラスメイトの女子だ。
 夏の間にブリーチした茶髪が、肩にかかる。
「結衣ちゃん、アイス買うて来てよ」
「ふざけるな、ばかにしんさんな」
 俺と結衣は、グラウンドの隅、体育館わきの室外トイレの前で、よく出くわす。
「ここなら球も飛んでこんね」
 結衣が、座り込んで、にかっと笑う。
「ほうじゃのう」
 しばしの沈黙……。結衣は肩をすくめて言う――「エースの先輩はカッコええね、凛々しゅうて素敵じゃ」

 蝉の鳴き声がする。

「結衣ちゃん、声掛けたら、ええよ。先輩が振り返ってくれるよ」
 結衣は、唐突な羽田の言葉に動じない。ただ、暑さにうなだれるように、耳を傾けているように見えた。

 結衣の汗の一つ、ひとつが、見える。
 眉と眉。
 目と目。

 結衣は、
「何かが上達するやつなんて大嫌いじゃ。練習するやつは練習しても上達せんやつを馬鹿にしとる。羽田はでかいだけでヘタクソじゃ。うちゃアイスじゃない」
 と、のんべんだらりと言葉を吐き出すと、また暑さにうなだれる。

「結衣ちゃん、茶髪は注意されんの?」
「されんのう」
「新学期が来たら注意されるよ」

 俺が口を突いて出た言葉で、結衣は立ち上がる。
 右足、左足、右足、左足。のっし、のっしと歩く。――やじろべえのように重心を移しながらでないと歩けないのだ。硬い音が聴こえるような下肢装具が痛々しい。右の手首と肘関節は、くの字に曲がったまま、全く動かない。

 結衣の鼻。
 丸い顔。

「……足は痛いんか?」

 ――いつのまにか背負った特長が後ろめたいなんて不幸せだから、誰も爪弾きにされていない世の中で、自分のために笑ったらいい。

「……聞いとるんか?」
「聞いとるよ。いつも聞きよるな」
 そう言い返して、結衣はまたにかっと笑った。

――小学校で教諭に言われた。人一倍大きな図体が、後ろめたくなった日があった。スポーツは何をやらせても一番か二番だったから。

「羽田はなんで練習せんのやろう?」

――今じゃ、後ろめたいもなにも練習についていかん。

「わしゃ、軟派者ではない……」
「いつもそういいよるな」
「そろそろ混ざる」
「いってらっしゃい」

――結衣が、笑っていたらいい。屈託なく、笑っていたら。

 俺は、結衣に背を向けて小走りになって、同じユニフォームの集まりに混じろうとする。
 働いて見せて仲間だと思われたり、ふてくされて抜けたりしながら、それが自分らしいと思えるか。――そんな俺は勇ましい大の男か。

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