経済学とはなにか
経済学は理系の学問と比べるとまだまだ原始的です。たとえば経済学でまともな実験が始まったのは戦後です。また経済学は経済現象を俯瞰して(空を飛ぶ鳥さんの目線で)みて論じる学問なので、もともと、ある特定の経済現象を詳細に解決するためのツールではなく、しばしば役にも立たないと断罪されます。
しかし、まともな経済学がなかった時代の経済の悲惨さを物語る多くの文献が、当時の惨状を雄弁に語りながらも、どこかその後の地球経済の発展と安定に経済学の絶え間ない貢献があったことを感じさせます。たとえばケインズ先生は、世界恐慌を目の当たりにし、当時の新古典派経済学が失業を自発的(自分の意思で無職)、あるいは摩擦的(いまだけ無職)のどちらかと断定する考え方に疑義を覚え、非自発的失業(働きたいのにいつまでも無職)が起こる仕組みを、有効需要の原理というフレームワークを打ち立て、そこに内包しました。
総需要Y=C+I
総供給Y=C+S
実際に貨幣支出を伴う需要(=有効需要)とは総需要と総供給の交点ですから、現に交点が常々実現しているということです。そのうえで失業ゼロ(完全雇用達成)における供給水準(完全雇用水準)に有効需要が量的に満たないときは非自発的失業が起きているよということです。この「現に起きたことの絵解き」として細心の注意を払いながら有効需要の原理を読むと、彼の説く「需要が供給を決める」とはつまり「需要を絵解けば、供給量(=国民所得)は一意に決まる」ということです。有効需要の原理で、総需要曲線と総供給曲線が異なっているのは投資Iと貯蓄Sが一致していない可能性を正しく考えるという金融市場への懐疑そのものです。その背景にあるもの、この世界的に有名なフレームワークのモチベーションとして、世界恐慌があるのです。
独立消費の限界消費性向
力仕事(ちからしごと)をする人員を一名手配して欲しいと言われたとき、直感的に「力持ち」をイメージするかもしれないが、実際に人材紹介など業務に携わっていると「似たような仕事の経験があるか否か」を必ずチェックするし、一番重大なのは「過去に欠勤したことがあるかないか」である。勤怠、経験、性別、年齢、こういったものをチェックするのだが、やはり、現実にはどうしても「体重130kgの巨漢を一般宅引越補助で手配しないでほしい。新居の階段が軋む」といった報告を受けることもある。階段が軋むような巨漢なんて稀だからそんなチェックしないのだが、どうあれ怠っている以上は不測の事態を招くのである。
もう一つくらいこの手の談義をしよう。経営学の講義でよくある、参入障壁の高い順(そのビジネスを開始するのにコストがかかる順)に以下を並べよという。
- ファミリーレストラン
- 対面授業の学習塾
- 自動車メーカー
- アクセサリショップ
案外、学生たちの間で考えがわかれるのだが、「土地」「従業員数」の2つだけで判断しようとすると、自動車メーカー>レストラン>学習塾>アクセサリショップとなるだろう。現実もおそらくは当たらずとも遠からずだろう。しかしこの四つの選択肢に新たに「クリーニング屋」が加わると、三番手が「クリーニング屋」なのか「学習塾」なのか、いずれもおよそ敷地面積80㎡で従業員1、2名もあれば始められるとしたら、この判断は難問に違いない。もしも「土地」「従業員数」「設備の種類」の3つで判断すると宣言していれば、クリーニング屋のほうはワゴン車も業務用洗濯乾燥機も必要だから、そこまで難問でもなく、であればクリーニング屋が加わった段階で「ごめんなさい」「設備の種類も考えさせてください(そして3番手にクリーニング屋です)」とするほうが利口ではあるだろう。
なるべく少ない変数で手短に、大雑把でも現実を説明できるモデルを望ましいとするか、現実を的確に説明できるように複雑なモデルをひたすら追求するか。マクロ経済学は単純なモデルから紐解いていく。
マクロ経済学の一番最初に出てくる変数として「消費(C)」「所得(Y)」「独立消費(c0)」「限界消費性向(c1)」というものがあり、
C = c0 + c1 Y
これがマクロ経済学の最も原初的なモデル、つまり出発点なのだ。c0とは独立消費であり、生活必需品や衣食住など所得がなければ借金をしてでも人は取り揃えて生きていく、など消費には所得に依存しない消費があるという考え方を背景に搭載された項(第一項)である。それと同時に、c1とは限界消費性向であり、人は所得の一部分をいざと言うときのために使わずに取り置きしておくという考え方を背景に搭載された項(第二項)である。
付加価値
近所の中華料理屋でウーロン茶を注文すると、店主がおもむろに、量販店で売られていたであろうペットボトルから【ウーロン茶一杯】を注いで持ってきてくれる、これは一杯800円する。もしも量販店で買っていたならば、一杯180mlだとして8円くらいなのだろう。ここで差分の792円とは中華料理屋が、その場で提供した【ウーロン茶一杯】を生産したさいの「付加価値」なのである。これはマクロ経済学でいう「付加価値」と同じ意味である。
もう一つくらいこの手の談義をしよう。山から羆が下りてきて人家を荒らしていて損害が出ていたとする。そして市役所の要請を受けた猟師がライフル銃でなんとか射殺して羆の暴走を止めたとする。猟師には手当10万円が支払われたとすると、この有害鳥獣駆除の付加価値(マクロ経済学で言う意味での付加価値)とは10万円以下である。※たとえ羆が数千万円以上の損害を市街に与えていたとしてもである。ちなみに銃弾は有害鳥獣駆除サービスの中間生産物(半製品)にあたる。
このような考え方をする目的とは、三面等価(生産=分配(所得)=支出を一致させること)に他ならない。もしも誰の給与にもなっていないなら「付加価値なき生産」ということにしないと、「生産」が「分配(所得)」を上回って三面等価原則が崩れてしまう。このように三面等価原則に従わないという意味で「つじつまの合わない考え方はしない」ということなのである。これはマクロ経済学が、その考え方の根本に、ケネーの経済表(経済循環)を源流としてるからである。重商主義批判以来の思想的系譜なのである。
利子
パチンコ店は早朝に行くと当たる。早朝が一番、目利きができるからだ。これから財布の1万円が小一時間で7万円に化けると思い込んでいる早朝パチンカーからその1万円を借りるのは至難だろう。小一時間借りるにしても7倍返し(600%の利子の支払い)を要求されるかもしれない。
もう一つくらいこの手の談義をしよう。ここで素寒貧のパチンカーだけの競売所をつくり誰か一人に1万円を貸し付けよう。※競売とは、絵画、骨董品、トレーディングカードなど典型的な競売品であるが、ここでは一万円札が競売にかけらえているとする。ここで稼ぐ自信のあるパチンカーが「私に1万円を貸し付ければ必ず7万円にして返すぞ」と言う。そして一番高い返済額を提示したパチンカーが、その金額で借り受けるとしよう。※first price auction
もしも彼が8万円に増やすことができれば最終的に8-7=1万円を儲けて帰ることができる。もしも6万円に増やすことができれば、6万円を支払い、0円を儲けて帰ることができる、このとき1万円の債務不履行は見逃してもらえるとしよう。もしも全額失ってしまったとしても7万円の債務不履行は許されるとしよう。ただし持ち逃げや過少申告は許されないとする。
さて、ここで彼から7万円を受け取る権利(債権)を証券化した債券を、貸した側が発行して再度競売にかけるとする。ここで「彼(債務者)」が、競売のタイミングで仮に3万円に所持金を増やしていて、かつ3万円以内でその債券を落札することができれば、打つのを辞めて黒字で終わることもできる。他人の手に渡ったとして、そこで彼が打つのを辞めたら、新たな債権者が落札額と彼(債務者)の所持金(上限7万円)との差分を儲けて終わり、彼は7万円以下のすべての所持金を失って終わる。いずれにせよ胴元は好きなタイミングで債券を競売にかけて胴元自身の儲けを確定させることができる。
入門的マクロ経済学で出てくる変数「利子率」とは、上述のようなマーケットマイクロストラクチャーで決まる利子率ではなく、定義された貨幣市場の(単一の)均衡利子率である。単一の均衡利子率とは、貨幣需要と貨幣供給が等しい利子率が一意に求まったとして、その利子率のことをいう。ここで気を付けたいのは中央銀行がそのような利子率を採用し、それを参考にしながら市中銀行が様々な経営判断をする現実的な世界とは異なり、どうあれ、1円を借りたら(1+r)円で返すことが約束された、つまり単一の均衡利子率で統制された世界において、まさにその「r」なのである。1円借りたら返す時には(1+r)円にして返す世界、1円貸したら返してもらう時には(1+r)円を返してもらえる世界を入門的マクロ経済学は仮想している。そのようにすることで投資関数I(r)を定義することができる(関数を定義できるとは、入力に対して出力が一意に定まると言う意味)。中央銀行が採用した利子率を参考に市中銀行が様々な経営判断をする現実的な世界観では、ここで中央銀行が採用した利子率を「r」としても、投資関数I(r)を、表記の通りrの一変数関数で定義することが困難であり、貨幣市場と財市場の同時均衡を分析するモデル(IS-LMモデル)をつくり、分析を執り行うことが困難になってしまう。別の言い方をすれば、IS-LMモデルの分析を目的として、貨幣市場を定義し、利子率「r」とは単一の貨幣需要と単一の貨幣供給が出会い貨幣を交換する際の「均衡価格」である、としたのである。このような仮想的に想定した世界を崩さずに、もしも複数の利子率を想定したければ、そのためには貨幣市場の複数を定義し、複数の貨幣需要と貨幣供給を定義しなければならないだろう。それは、複数種類の貨幣が流通している状態であり、たとえば中世中国の宋銭と明銭(流通実績のある宋銭のほうが信頼され価値が高いとみなされていた)の関係性が参考になるだろう。
現実の世界を分析するさいに援用する目的で、数学で、かつ現実をよく説明できるモデルをつくるとき、現実と似て非なる世界を(ときに一定の思想を背景にしながら)仮想するプロセスを省略することはないため、それを学習する者もそうしたプロセスをまず省略すべきではないということと、仮想した世界が当初仮想された世界に妥当であるほど理解も妥当なものになるのである。
IS-LM分析
IS-LM分析は、総投資(I)を利子率(r)の一変数関数で考えるところからスタートする。45度線分析で、座標系は縦軸が(GDP)で、横軸が(国民所得)だった。学生によっては、「三面等価により(GDP=国民所得)で一致するから、限界消費性向の考え方に従って想定されるGDPは、それはそれとして、実現するのは45度線上の点でないとおかしい」という理解で落ち着いているかもしれない。
総投資(I)、政府支出(G)と純輸出(NX)は、その座標系においては縦軸の変数にも、横軸の変数にも依存しない数量であったから、定数(総需要の切片)なのである。つまりIS-LM分析で、総投資(I)が利子率(r)の一変数関数で考えたとき、45度線分析の座標系では曲線の形状は何も変わらないのである。ただ切片の高低が、利子率(r)で制御されるようになったことには気が付いて欲しい。
総投資(I)を利子率(r)で制御できるようになると、有効需要が、ゆくゆくは利子率(r)の一変数関数になってくる。
大前提:総投資(I)で有効需要が決まる・・・45度線分析
小前提:利子率(r)で総投資(I)が決まる・・・総需要曲線のIS-LM分析で拡張された部分
結論:利子率(r)で有効需要が決まる・・・財市場の均衡曲線
ここで貨幣市場を考える。縦軸を利子率(r)、横軸を市中貨幣量にとった座標系に、貨幣需要(実際に市中で必要とされる貨幣量)と貨幣供給(実際に市中で出回る貨幣量)を別々に図示したうえで、それらが一致するとき(現実に実現する状態)を考えるということである。貨幣供給が縦の直線になることを、「マネーサプライ」の一言で片づけている学生も多いかも知れない。中央銀行が金融政策で制御する(IS-LM分析モデルにおいて外生変数である)貨幣供給量と、そのうえでモデル内で決定する利子率(r:IS-LM分析モデルにおいて内生変数である)というところまでは理解できていると、実際に金融政策を考えるさいの土台に出来上がっているといえる。
簡単なたとえ話をすると、運転手がスピードを上げて自動車のエンジン回転数が上がるほどエンジン温度は上昇する、もしも運転手が直接エンジン温度を何らかの方法で上げ下げできればエンジン温度は外生変数とみなせるかもしれないが、実際はそのようなことはできないので、スピードが外生変数で、エンジン温度はそれに依存する内生変数ということになる。
実証とは
物理学の世界では、何十年も前に論文化された理論が実験によって「正しかった」と認められると、「実証された」と評価される。ケインズの仮想した思想、それに基づく理論も、実証された部分と、されなかった部分があることは留意したい。


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