ナチスの反省から生まれたドイツの差別禁止制度──日本に不足している「歴史認識」の仕組み

ドイツの差別禁止制度

 ドイツでは、差別を禁止する法律と、それを社会全体で学ぶ教育が民主主義の土台となっている。その出発点は、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)への深い反省である。一九三三年にヒトラー政権が成立すると、ユダヤ人、ロマ(ジプシー)、障害者、同性愛者、政治的反対者などは「国家にとって劣った存在」と位置付けられ、法律や教育を利用して社会から排除されていった。
 ナチスは突然大量虐殺を始めたわけではない。まず学校教育や新聞、ラジオなどで特定の民族への偏見を広め、「彼らは危険だ」「国民ではない」と人々に繰り返し教えた。その結果、多くの市民は差別を日常のものとして受け入れ、最終的には約六〇〇万人のユダヤ人が命を奪われるホロコーストへとつながった。
 戦後のドイツは、この経験から「民主主義は選挙だけでは守れない」という教訓を得た。多数決だけに任せれば、多数派が少数派の権利を奪うこともあり得る。そのため、国家には少数者の権利を積極的に守る責任があるという考え方が確立された。
 その理念は一九四九年制定のドイツ基本法(憲法)に明記されている。第1条では「人間の尊厳は不可侵である」と宣言し、第3条では人種、出身、言語、宗教、政治的信条、障害などを理由とした差別を禁止している。さらに二〇〇六年には一般平等待遇法(AGG)が制定され、雇用、教育、住宅、商品・サービスの提供など幅広い場面で差別を禁止し、被害者が救済を求められる制度を整備した。
 しかし、ドイツが重視しているのは法律だけではない。教育も同じくらい重要視されている。
 ドイツの学校では、ホロコーストやナチズムを単なる歴史上の出来事として暗記するのではなく、「なぜ普通の市民が差別に加担したのか」「民主主義はどのように崩壊したのか」を考える授業が行われる。多くの州では強制収容所跡や記念館を訪問する校外学習も実施され、生徒は当時の加害と被害の歴史を自分自身の問題として学ぶ。
 さらに「政治教育(Politische Bildung)」という教科・教育分野では、人権、民主主義、憲法、ヘイトスピーチ、極右思想、メディア・リテラシーなども扱われる。政治的に中立であることを前提としながらも、人権や民主主義を否定する思想に対しては、それを歴史的事実に基づいて批判的に考える力を育てることが教育の目的とされている。
 つまりドイツでは、差別禁止法が差別を「裁く仕組み」であるならば、差別禁止教育は差別を「生み出さない仕組み」なのである。
 この二つが車の両輪として機能していることこそが、戦後ドイツの民主主義を支えてきた大きな特徴と言える。法律だけでは人々の意識は変わらず、教育だけでは差別を止める強制力がない。だからこそ、法律と教育の双方を整備することが、ナチスの歴史を繰り返さないための国家的な取り組みとなっている。

日本に不足しているもの

 日本にも憲法第十四条の法の下の平等は存在する。

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 しかし、ドイツのAGGのような包括的な差別禁止法は存在しない。ヘイトスピーチ解消法は2016年に制定されたが、理念法であり罰則もなく、私人間の差別全般を禁止する法律ではない。また、学校教育でも差別の歴史について学ぶ機会はあるものの、「差別を防ぐための教育」として体系化されているとは言い難い。
 その結果、差別が社会問題として起きても、「個人のマナーの問題」として理解されがちであり、民主主義や人権の問題として捉える視点が十分に共有されているとは言えない。
 重要なポイント:日本史にも南京大虐殺や関東朝鮮人大虐殺などホロコーストが存在するが、否定論もあり、ドイツと同じ経路を歩む気配がない。

沖縄という歴史をどう考えるか

 この問題は沖縄を考えるとよく分かる。沖縄が日本史と重なるのは、一六〇九年に薩摩藩が琉球へ侵攻した後だ。その後は藩の支配下で、形式上は存続し、中国(清)との朝貢関係も続けるという特殊な立場に置かれていた。
 一八七九年、明治政府は琉球処分を実施し、琉球王国を廃止して沖縄県を設置した。この過程については、日本国内では「近代国家形成の一環」と説明されることが多いものの、沖縄県民や一部の研究者の間では「武力を背景とした併合」あるいは「占領」に近い出来事として評価する見解もある。沖縄は第二次世界大戦で国内唯一の大規模地上戦を経験し、多くの住民が犠牲となった。

明治日本の対外武力行使

 興味深いのは、その数年前には日本は江華島事件(一八七五年)を契機として朝鮮へ軍事的圧力をかけ、日朝修好条規(不平等条約)を締結させていることである。朝鮮は一九一〇年の韓国併合で日本の植民地になる。その三十五年後の一九四五年八月十五日にポツダム宣言を受諾し、日本は朝鮮の統治権を失う。
 台湾は、一八九五年四月十七日に日清戦争後の下関条約で清から譲られた土地で、敗戦後の一九四五年十月二十五日に中華民国による統治が始まる。
 その後、一九五二年四月二十八日にサンフランシスコ平和条約が発効。同日施行された法務府民事局長通達(いわゆる「平和条約国籍離脱通達」)により、在日の朝鮮・台湾出身者について日本国籍を失ったものとして取り扱うようになった。

沖縄戦から沖縄返還まで

 一九四五年四月一日、アメリカ軍は沖縄本島への上陸を開始し、沖縄戦が始まった。同年六月下旬に組織的な戦闘は終結し、沖縄はアメリカ軍の占領下に置かれた。
 その後、一九五二年四月二十八日にサンフランシスコ平和条約が発効すると、日本は主権を回復した。しかし、沖縄は日本本土とは異なり、日本の施政権の及ばない地域として引き続きアメリカの施政権下に置かれた。そのため、沖縄の人々は日本国民でありながら、日本本土とは異なる行政制度や法制度のもとで生活することとなった。
 この状況は一九七二年五月十五日に沖縄返還が実現するまで続き、およそ二十七年間にわたり沖縄はアメリカの施政権下に置かれた。

まとめ
  • 朝鮮:
    • 1875年武力介入
    • 1910年併合
    • 1945年8月統治終了
    • 1952年権利放棄
  • 台湾:
    • 1895年清から割譲を受ける
    • 1945年10月統治終了
    • 1952年権利放棄
  • 沖縄:
    • 1609年武力介入
    • 1879年併合
    • 1952年主権回復
    • 1972年沖縄返還

学校教育と沖縄、差別への懸念と要塞化

日本の歴史を学ぶ

 沖縄の歴史は「日本史」とは異なる部分がある。本土では鎌倉幕府や室町幕府を「自国の歴史」として学ぶ。しかし、琉球王国はその当時、日本の幕府とは別の政治体制を持っていた。その意味では、沖縄の人々にとって鎌倉時代や室町時代は、自らの歴史と完全に重なるものではない。
 このような歴史認識は、全国ではあまり共有されていない。その理由の一つとして、「沖縄だけを特別視すると分断につながる」という懸念や、歴史認識が政治的対立と結びつきやすい事情もあるだろう。その結果として、沖縄が独自の歴史を持つ地域であるという認識自体が十分に広まっていない面もある。
 本稿の目的は、
 ――たとえば「鎌倉幕府は沖縄県民の歴史じゃない」という義務教育をして、生徒を一人として沖縄を差別する人にしない、この二つを同時に叶えられないのは差別禁止制度がないからだ。その隙を突くように、ここにきて自虐史観などという価値観が、自己の利益と折り合いだけの空論であり、まったく正義でない(同じ正しさを沖縄県民に対して行使しない。現在の日本国領域で遍く共有できない歴史観)にも関わらず、正義のように跋扈した――、
 これを伝えることだ。

政治と要塞化

 沖縄では現在、自衛隊基地や米軍基地を巡る議論が続いている。安全保障政策そのものについては様々な立場がある。ただ少なくとも沖縄が、

  • 琉球王国として独自の歴史を歩んできたこと
  • 地上戦を経験した唯一の地域であること
  • 戦後27年間、日本政府の施政権の外に置かれたこと

といった歴史を踏まえるならば、基地問題を議論する際にも、その歴史的背景への配慮が求められるべきだという考え方は十分に成り立つ。政策への賛否とは別に、歴史への理解は民主主義における重要な前提である。

結びにかえて

排外主義を見抜く力

 ドイツでは、極右政党や排外主義的な発言は常に社会的な監視の対象となる。
 もちろんドイツにも極右勢力は存在する。
 しかし、多くの国民は学校教育を通じて「ある民族や地域を一括して否定する言説は、ナチズムへとつながる危険性がある」という歴史を学んでいる。
 だからこそ、政治家の演説で差別的な表現が用いられた場合、それを単なる「過激な意見」としてではなく、人権や民主主義への問題として受け止める土壌がある。
 日本でも、沖縄県民を「土人」と呼ぶような侮辱的な表現や、外国人に対する排外的なスピーチが問題になってきた。
 こうした問題を単なる言葉遣いの問題として終わらせず、歴史や人権教育の中で考える仕組みは、現在より充実させる余地があるのではないだろうか。

おわりに

 差別禁止法は、人を罰するためだけの法律ではない。
 差別禁止教育も、人を「正しい人間」にするための教育ではない。
 どちらも、「歴史を繰り返さないための社会の仕組み」である。
 ドイツはナチスという悲惨な過去を経験したからこそ、法律と教育を組み合わせて民主主義を支えてきた。
 日本もまた、沖縄、アイヌ、在日コリアン、被差別部落など、多様な歴史を持つ社会である。こうした歴史をより深く学び、それぞれの背景を踏まえて議論する力を育むことは、民主主義をより成熟させる一助となるだろう。
 安全保障や基地政策については様々な立場があり得る。しかし、その議論が歴史的経緯や地域の経験への理解を伴うものであることは、より建設的な民主的議論につながると考えられる。

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