小説・互いのレンズ 作・藤倉崇晃
晴天だけれど、今日は朝から一歩も部屋を出ていない。
私は、念入りにカーテンを閉める。遮光の黒いカーテンで、部屋は完全個室になる。
新築のアパートの小奇麗なワンルーム。
二十三平方メートルの空間を数年前から自由に使っている。
意味ありそうに貼られた壁のポスターを背に、私はパソコンの前に座る。
インターネットの生放送プラットフォームを開いて、グッと息を飲む。
「おっし! 今日もやるぞ!」
一分後に始める。
これからライブ配信をする。
開始と同時に鳴らすのは、人工知能で作ったオリジナルテーマソング。
三、二.一。
――そしてはじまる。

「こんにちは! スズキリカです!」
陽気な音楽と共に、大きな分厚い白いパーカーに身を包んで、自己紹介をする。通販で買った、私の定番のコスチュームだ。この衣装でラーメンの早食い配信も過去にやった。
「今日は新作のゲームをプレイします。先行予約をしていたクロノトポスⅢのダウンロードが完了しました」
ゲームのオープニング画面を大写しにしてから、長々と雑談をする。
「ウチの回線、めっちゃ重くて、全部落とすのに手こずった」
チャンネル登録者数は十万人を超え、開始前からリスナーが集まっている。ここまでコミュニティが大きくなったら、ありきたりな話題で皆と親睦を深めて、それから本題に入るのが定石だ。
「乙」
「乙」
「わこつです」
配信画面にコメントが泳ぐ。白い文字列が魚のように流れて来る。私は、まるで沢山の言葉にまみれるようだ。
「初見なので、擁護コメントをお願いします!」
はじめてプレイするから、何度もゲームオーバーになるかもしれないけれど、飽きずに見て行ってねとお願いする。
「は?」
「擁護なんてしねーよ!」
「リスナーに向かってなんだ!」
「お前のヘタクソなクロノトポスを見に来た」
「くさい」
「風呂入れスズキリカ」
「ババア」
「働け」
チャンネルにはアンチが大勢いる。私は嫌いではないし、アンチも憎しみを込めて私を叩いているのではない。交流の仕方が手荒で独特なだけで、皆、要はファンなのだ。だからアンチコメントは私への声援だ。全ての人がスズキリカを楽しむためにここに来ていると思える。
本コミュとは別のアンチ専用コミュニティが、既に二つある。「スズキリカ被害家族の会」と「スズキリカ撲滅委員会」だ。中学校の卒アルも晒上げられている。縁もゆかりもない他の配信者に、高校の同窓生を装った「ユダ配信」をやられたこともある。裏切者の暴露話と称して、風営法の対象になるお店で働いているとデマを流された。
「お前らイキってんなぁ! 働いてますよぉ! ゲームをやる仕事ぉ!」
私も言い返す。
この一声でまたアンチコメントが吹き荒れる。叩かれても平気な善人だ、仏だ、と言われたいわけではない。ただここに集う人達へ、言葉の自由を与えていると思うと、存在は究極だなと思える。
「朝鮮人」
私には一つだけ面倒くさい系統のアンチコメントがある。それは朝鮮の人だと言われることだ。何が面倒くさいのかといえば、必ずリアクションしないといけないのだ。
「……はい! 人種差別はやめましょう! 人種差別ですよぉ!」
――この返答はお決まりなのだが……。
「あくしろ」
「あくしろ」
「あく」
そして、早くしろと言われる。
オープニングトークのバックグラウンドミュージックを止めて、ゲームの音をリスナーに伝える。
私はコントローラーをカチャカチャと動かす。ゲームの効果音と共に画面はアバター作成画面に切り替わる。アバターとは、ゲーム中の自分の姿形のことだ。ここで一時間くらいかけたい。アバター作成のタイミングが一番お客さんを呼び込める。これはゲーム配信の定石だ。ちんたらアバターを作っていたらファンが離れるようでは、大手配信者は務まらない。
「アバターをつくるよぉ! 何にしよっかなぁ! アフロあるかな!」
私はわざとらしく声をあげる。
朝鮮人云々のやり取りが嫌な理由はもう一つある――。
先程のテンプレ的な返事以外、他に何も出来ない。工夫が出来ないのは痛い。工夫のない配信はファンが離れる。もしも「本気でスズキリカを潰す」という並々ならぬ悪意を持ったリスナーがいて、朝鮮人云々をひたすら連投してきたら、いよいよ困るかもしれない。つまらない配信になってしまうし、運営から人種差別の現場になったと見なされてアカウントを凍結される可能性だってある。
「小学生の頃に読んだ漫画があってぇ! アフロの主人公が出て来るギャグ漫画なんだけどぉ!」
私はまたわざとらしく声をあげる。
アンチの弾幕が貼られ悪口が泳ぐ配信画面にも、稀に真っ当なコメントが流れて来る。
「ネットカフェにあるよ、それ」
「俺も読んだ」
「旅とか行かないの?」
――旅?
「行かなあい! あ、でも……! 関西とか行ってみたら面白いかな? 関西、面白いかな? 難波が面白いって友達言ってたけれど、難波に行こうかな。難波、歩きながら配信したら面白いかな? ……でも家から出たくないかも! 怠いなぁ! 怠い、怠い! 家にいよう!」
「リア充みたいに思われるの嫌なんだよお! リア充ですねって言われるの嫌なんだよお!」
「外出は映画を見に行くくらいだよお! でも最近、ネットで見られるよねぇ!」
「……ああ! アフロあった! これ! これどうかなあ皆!」
私は、ゲームの世界に話を戻す。
またアンチコメントが吹き荒れる。
「うるせぇ」
「くせぇ」
「いらねぇ」
「時空を超えて戦時中の朝鮮に帰れ。そして祖国を勉強してこい」
また朝鮮人発言が紛れ込んでいる。
――そもそも朝鮮ってなんだ?
不意に疑問が頭に差し込まれた。
「戦時中とか全然わかりません! 歴史はパァです! ……っていうか、朝鮮人、朝鮮人って、朝鮮の人に失礼だろう!」
私はツッコミを入れてみる。
するとリスナーが弾幕を張る。
「差別」
「差別」
「差別」
私は、これらがアンチコメントなのか擁護コメントなのかわからない。
「え? なに、コメントした人に言ってんの?」
私はドキドキしながら珍しく朝鮮人の話題を引っ張る。
リスナーの反応が雪崩をうって流れる。
「お前が差別」
「コリアン」
「コリアンという呼びかたを知らない中卒のリカタソ」
「アフロはよつくれ」
差別の二文字が弾幕になって流れて来る。
迂闊なことをした。
危ない流れになってしまった。
「わかった! 勉強するから! 勉強! はい、やめぇ! アフロつくります!」
やはり人種差別の話題は引っ張らないほうがいいなと思う。
――この日の配信は盛況だった。
私は小一時間かけてアバターを作った。それから本編を五時間プレイして今日は終わり。百回くらいゲームオーバーになったけれど、盛り上がってよかった。
――お疲れ様でした。
六時間の配信が終わった。
配信を切って、上を見上げると顔が紅潮しているのが自分でもわかる。
ウイン チキチキ ウイン
パソコンの音が耳に入り込んでくる。
「はあ……」
思わず溜息をつく。
とんとんと肩を叩いて、伸びをする。
もう飲酒のできる年齢なので、部屋の隅にある冷蔵庫のビールを一缶開けた。
くどいようだが暑いのは得意なので、まだ冷房はつけていない。
音をたててビールを飲む。
グビ グビ
と飲む。
シャワーも浴びようかなと思いつつ、またフッと溜息をついて、お金の計算をする。配信が終わると必ず家計簿を気にする。ちなみに煙草は吸わない。真面目に生きているのか、生きていないのか、難しいことは考えない。真面目か、不真面目かの間に挟まって悩むのは飽きた、辞めた。親には少し申し訳ない。五歳まで神童だったため。
私はインターネットで調べものをする。
パソコンのキーボードをカタカタと弄る。
ライブ配信は趣味ではない。
私は広告収入で生計を立てているプロ配信者だ。チャンネルの管理画面には、今月のインセンティブ報酬が表示されている。その金額は二十二万円にのぼる。振り込みは来月だ。この調子なら、また来年二月に確定申告を区役所でするのだろう。
ゲーム配信を選ぶ理由を説明するのは簡単だ。近頃、ほとんどの配信者がこのゲームで遊ぶ。それくらい人気のタイトルだ。大手配信者が横一線になってクロノトポスⅢで遊んでいる中で、一人だけ全く別のことをするのは想像を絶するほど不利だ。最悪、ファンが離れる。
「経営戦略って言うのかな?」
なるべくお金を稼ぎたいけれど、他に方法がない。
ルックスの割に飲食店などは全く務まらない。風営法の対象になるお店は絶対に嫌だ。飲食店の許可でやっている系統の飲み屋さんも体験入店で辞めた。
何も不足の無い暮らしの中にあっても、リアルな数字が痛い。
「生活は出来るけれど、これじゃ足りないな」
またカタカタとキーボードを鳴らす。ひたすらインターネット検索をする。億単位の豪邸を買った人みたいに桁違いな収入を得たい。人生はバラ色がいい。未来が見たい。真面目か不真面目か、自分はどっちかなんて悩んでいたくない。無理矢理、考えるのを辞めても、数字は嘘をつかない。
「旅」
配信中にリスナーから言われたことを思い出す。
「私が旅している姿って需要あるかな。見たいのかな……」
そういえばゴールデンウィークに千葉から新宿まで徒歩で歩く配信とか、やっている人がいた。正月にドライブ配信をして、日の出前の出雲大社で芋フライを食べた人もいた。道中の危険を省みず。虎穴に入らずんば虎子を得ず。
「……弾丸ツアー配信とかやってみようかな。……出会い系配信とかやってる人もいたな。旅先で凸待ちは危険を冒しすぎかな。温泉配信とかエロは絶対やりたくないな。魚釣りとか今から覚えても難しいよな。ゲーム配信が、結局一番コスパがいいかも」
――ここで。またふと思った。
私はもう一個のキーワードも思い出す。
「差別」
差別弾幕が張られたとき、心で感じる危機感とは別に、頭で理解する計算式があった。
プラットフォームの仕様上、コメントが増えるとランキングが上昇する。視聴者は増える。弾幕を誘発すれば、するほど、そのぶん地盤は上昇。インセンティブ報酬は増えそうだ。バラ色の人生は遠くても、千里の道も一歩から。
「差別をネタにするのは面白いかもしれない。差別されている人達を見る旅とかできないだろうか。それはリア充っぽくないし、凸待ちっぽくもないんじゃないかな。可哀想って言っていれば、私が叩かれることもないだろうし」
私はその詳細を考え始める。
チャンネルが人種差別の現場にならないようにするには、私が叩かれないことと、差別する人を呼ばないことの二つが重要だ。たとえば市民団体の講演を聞きに観光地まで行くとか、「旅行と勘違いするな」と罵声を浴びせられて、しらけるかもしれない。現地の人を叩く人が集まって、叩きの現場になってもよくない。
それに配信中は、ああ言ったもの、勉強をする気など毛頭ない。そもそも歴史の勉強が苦手だ。歴史が好きな人は、何が面白いのだろうかと思う。中学時代の勉強のできる人はテストで良い点を取りたくて覚えていただけだった。
ウェブサイトで朝鮮学校の生徒達の写真を見つける。「彼らは民族が違う」と言われてもよくわからない。確かに顔立ちが珍しい人ばかりを集めた気はする。しかし駅前で見かけるような顔と大きく違うかと言われれば、そうでもない気がする。ただこうやって考えていると、「貴方は朝鮮人」とか「私は朝鮮人じゃない」とか発言することが、一定の人達に対して失礼になってしまうのはなんとなくわかる。
――そして知識の洞窟を探検すること、三十分が経過する。
――関東朝鮮人大虐殺。

「え? 妊婦を竹やりで刺した?」
私は、ネタにするには何がいいか悩みに悩んでいた。そんな時間帯だったから思わず声が出た。劇的にコアな話題を見つけることが出来たのだった。小学校で習った南京大虐殺はまだ覚えている。旧日本軍が中国人を大虐殺したのは辛うじて覚えている。それに近い話かもしれない。昔の日本の軍隊は、関東大震災の直後に、朝鮮人に対しても、虐殺をしてしまった。
「大虐殺ってなんだろう? 日本に朝鮮の人が大勢いた時期があったの? 強制連行された朝鮮人が沢山いた? 三十人くらいかな? ……殺したの? ……戦争が始まったのは『行くよ一気に真珠湾』だから一九四一年じゃなかったっけ?」
市民団体のサイトに細かく書いてある。
一八七五年の江華島事件(日本による武力行使)を背景に、鎖国下にあった朝鮮は開国し、日本やアメリカなどと不平等条約を結んだ。日清・日露戦争の時代を経て、朝鮮の立場は弱くなる一方だった。一九一〇年の韓国併合で、明確に日本の支配下に置かれる。一連の流れの中で、渡日した者の人数は不明だが、一九四五年のポツダム宣言で日本が敗戦した時点で約二百十万人の在日コリアンがいた。彼らは大日本帝国の臣民という立場だったが、その日本国籍は一九五一年のサンフランシスコ平和条約で剥奪された。現代では、後に韓国籍が与えられた者と無国籍のままの者とがいる。
「七十年間も朝鮮に悪さをしたのか。恩着せがましく臣民にして、関東大震災の直後に難癖、いちゃもんをつけて虐殺したのか」
市民団体は毎月、新宿駅南口でスタンディングデモをしている。学芸員や研究者の書いた本の書評や、不定期のイベントも開催されている。
「この団体をネタにしてみたい」
奇しくも今月末に千葉県でバスツアーがある。追悼地を巡る旅。――船橋、習志野、八千代。旧日本軍が虐殺した朝鮮人の死体を、実際に埋め立て地から掘り起こしたり、身元の鑑定をしたりして、供養した人達がいた。そうした活動家らが建立した追悼碑の前で手を合わせる行事だ。
「歴史は知りませんが朝鮮人と煽られたので手を合わせて来た」
というタイトルにしたら、ほどよくネタ配信になるかもしれない。
「ちょっと偽善っぽいけど、いいか」
情報量の多いサイトに、ある一本の映像作品が紹介されている。
「1923」
二〇二三年に、百年の経過を背景にして日韓共同制作したもの。関東朝鮮人大虐殺について大々的に取り扱った映画で、監督は韓国人。
「映画は好きだから、予習も兼ねて見てみたいな。埼玉で見られるかな? 都内でもいいけれど、どこで見られるのだろう?」
――名古屋・シネマスコーレ 今月二十二日まで。
そもそも劇場の厚意でリバイバル放映をしている様子だ。
「明後日までかい! スクリーンが一つしかない、場末の映画館かよ! 名古屋は行ったことないぞ! 行ってみたいかも! 映画のためだけに名古屋とかネタとしておいしいはず!」
私は早速、インターネットで高速バスを予約する。
行きは明日午前十時のバスタ新宿発に乗る。名古屋到着は午後三時半予定。そのまま名古屋観光をして、翌日に観覧する。
宿泊はインターネットカフェ。
帰りは悩んだけれど、二十三日昼の名古屋駅発にする。二十二日の夜は、名古屋観光の第二段で繁華街に行ってみよう。
――人生初・名古屋。
――突発的に決めたけれど、これは超常現象に導かれている予感がする。場末の映画館を目当てに名古屋旅行するなんて、なんだかワクワクして来た!
――翌朝は七時に起きて、八時に家を出る。
バスに乗って向かう先の駅で、待ち時間もなく新宿行きの電車に乗る。
あと三十分遅いと、通勤ラッシュの一番厳しい時間帯だ。運よく、戸田公園駅から座席に座れる。赤羽駅、池袋駅で降りる人、乗る人を尻目にアプリのゲームをする。
新宿駅で下車すると、足早に中央改札に向かう。
そして通い慣れた新宿駅構内を歩く。
人混みを人混みとも思わず、まるで猫のようにすり抜けているだろうか。
新宿駅南口の正面にある大きな建物がバスタ新宿という。新宿駅前のお店や建物は、駅前といえども油断が出来ない。運が悪いと、とても迷う。その点でバスタ新宿は本当に正面にあって信号機一つ渡れば到着する。
信号機を渡る人達、同じ経路を行く人達の、ガラゴロと引きずるトランクの音。
大きな荷物を持つ人達が、バスタ新宿の中に吸い込まれていく。
見知らぬ人達が、不思議な親近感を醸し出す。
乗り場は四階だ。
私達はエスカレーターで四階に向かう。
これから旅に出る人は、顔が朗らかだ。
外国人の夫婦。
日本人のカップル。
電車の中で見た、様々な顔と比べて、目の前に希望のある、そんな様子がよくわかる。
予約したバス会社は携帯端末のQRコードが乗車券替わりだから、私は券売機に並ぶこともない。
広大な待合いの空間で、私は心地よいクッションに腰掛けて、バスに乗る時を待った。
長距離バスでの旅といえば、数年前に大阪・梅田に行ったことがある。
その時は上野から九時間くらいかかった。
今回は新宿から五時間半だ。
発車十分前からバスに乗り込める。
私はトイレを済ませた後、念のためATMで預金を下ろした。現地で下ろしても同じことだと知りつつ、なんとなく今、旅の軍資金を下ろす。
「現金も三万円あれば絶対足りるよね」
バスタ新宿の四階に銀行のATMがあるのも、少し意外だった。東京は便利さを追求した街だと嘆息する。このフロアにいる人達の声が、ガヤガヤとごった返してしても、騒音のような不快感はまるでない。これから旅に出る人たちの、喜びが否応なしに耳に入り込んでくる。
――そうやって物思いに耽りながら、やがて発車前のバスに乗り込んでシートベルトを締める。
バスは定刻に発車して、新宿市街を走行し、やがて東名高速道路にのる。
足柄サービスエリアと浜松サービスエリアに停車予定だ。
私は携帯で音楽を聴いたり、ゲームをしたりして、過ごしていたけれど、結局、背もたれに寄りかかって目を閉じていた時間が一番長いかもしれない。
十一時四十分頃、足柄サービスエリアに到着した。横殴りの雨に見舞われて、建物の自販機でコーヒーを買って飲むまで大変だった。トイレも済ませた。
午後一時四十分頃、浜松サービスエリアに到着した。コンビニのおにぎりを一つ買って、食べた。サービスエリアの食堂も賑わっていたけれど、バスの発車に遅れると置いてきぼりになりそうで、それが怖くてほとんど立ち入らなかった。
午後三時半に名古屋駅周辺に到着し、そこで私は降りる。
外は小雨が降っている。
天気予報によれば、夕方から曇りときどき晴れだったはず。
どんよりとした空の下で「ここが名古屋か」と感慨に浸るよりも先に、予約したネットカフェに、足早に移動する。名古屋駅西側の開発工事中のエリアの脇を通る。現場作業員のおじさん達が、せっせと作業している。数年前の大阪・梅田駅付近も再開発の工事で忙しなかった。
街行く人の顔が、東京とも大阪とも違う。
心なしか親切そうな人達に思えて来る。往来する人と人とが、ぶつかったり、ぎりぎりで避けたりするスリリングな感覚が全くない。もちろん人が少ないわけではない。
「夕飯をどこで食べよう。人工知能に聞こうかな。早く晴れないかな」
そんなことを考えながら、名古屋駅西側を歩く。
雑多な繁華街の空気が、なぜか地元の駅前を思い出させた。賑わい方がどこか似ているのかもしれない。もちろん、都市全体で見れば名古屋市の方がはるかに大きい。だが、駅前の雑居ビルや飲食店の密集した一帯を歩いていると、中心部の感触そのものは、思ったほど変わらないようにも感じられた。
東京にあるファミレスを見かけると、今度は東京と重なる。
千葉にある居酒屋を見かけると、今度は千葉と重なる。
埼玉にあるカラオケ店を見かけると、今度は埼玉と重なる。
観光地というよりは既視感のある街だなと思う。
やがてネットカフェのあるビルに到着して、一階でエレベータを待つ。
エレベータに乗り、五階で降りて、受付に「予約したスズキです」と話す。
そして六階の客室の鍵を渡される。
受付の横の、無料の自販機で無糖のカフェオレを一杯御馳走になってから、六〇三号室へと向かう。部屋はフラットマットで、大きな画面のパソコンが備え付けられている。
私は、早速、人工知能に「名古屋めしといえば?」と質問する。様々な答えが返って来たけれど、私が興味を持ったのは「ホルモン焼き 味噌とんちゃん」だった。三キロメートル圏内に矢場町があって、そこに午後五時開店の店がある。

私は携帯端末のアプリで配信の準備をする。
持参した小さな三脚に携帯端末を固定して、机の上に置く。
行きのバスの中でリスナーに告知しても面白かったかもしれないけれど、タイトルは「電撃参戦!名古屋います」にした。
配信を開始して数秒で、
「え?」
「へ?」
「名古屋?」
「次のクロノトポスは土曜日でしょ」
「私服、乙」
というコメントが流れて来る。
中には、「仕事をサボってコミュニティを眺めていたら、更新押した瞬間、ライブ中になってビビった」とか嬉しいコメントも流れて来る。
ネットカフェの一室で、声の音量を落として話す。
「目的は映画です! シネマスコーレで明日まで放映の『1923』を見に来ました! リスナーさんに朝鮮人と煽られたので、関東朝鮮人大虐殺の映画を見に飛んで来たんです!」
「シネマスコーレって、すごい場末の映画館ですよね!」
一人、また一人とアンチが到着して、コメントを打つ。
私の胸は、旅の高揚とは別のハイテンションへと導かれる。
――いいぞ!
――叩け!
――荒せ!
相変わらずアンチコメントの嵐が激しい。
「は?」
「いいと思ってんの?」
「告知しないとか舐めてる」
「遂に朝鮮に興味を持ったか」
「そのまま朝鮮に帰れ」
リスナーもツッコミを入れる。
私は三十分間だけ、リスナーと雑談して放送枠を閉じた。「勉強は良いことだ」「偉い」「夜もやってくれ」という反応もあった。
――お疲れ様でした!
私は午後六時の放送枠を予約する。「ホルモン焼きを食べる」というタイトルの一時間枠だ。
それから小一時間、個室で旅の疲れを癒して、午後五時半にネットカフェを出発する。
空は、雲の切れ間から青が覗く、晴れに変わっている。
この時期の日没は六時半過ぎだ。夕方の青の下を私は歩く。
予報通り晴れてよかったと思いながら、改めて人生初の名古屋を堪能する。
名古屋の名物は「味噌」だという。
だから明日の昼、映画を見た後は味噌カツに挑戦しようと思う。
名古屋駅を通るJR、私鉄、地下鉄の数は多く、路線が四方八方へ飛散するように走っている。公共放送の大河ドラマでやっていた清須の周辺にも行ってみたいと思った。
駅の中は日本人観光客と思われる人達が沢山いる。東京・浅草のように四方八方が外国人という有様ではない。待ち合わせ場所のような時計台の広場に大学生と思しき人達の姿もある。
私は、さほど迷わず東側へ出ることができた。こちら側にも工事中の空間がある。エスカやユニモールなど地下街が発達している街だが、私は地上を歩く。


大通りを進むと、「江川線」と書かれた大きな幹線道路が表れる。右折して南へ向かう途中、「慈光寺」と掲げられた小さな寺を見つける。その先の交差点を栄方面へ曲がり、橋を渡って堀川を越えると白川公園という大きな公園がある。公園を抜けると、若宮神社が見えてくる。
小さな寺社が街路の延長のように現れ、通り過ぎる人へ静かに語り掛けてくるようだ。そんな、街の気配りのような存在の仕方が、地味でおしゃれな佇まいが、街を歩く人達と、違和感なく溶け合っている。フランス・パリの市街地には、天使像や悪魔像が公然と置かれているという。宗教が観光地として隔離されず、都市の生活空間の中へ自然に混ざっている感じは、ヨーロッパにもある。
私は、コミュニティ(本コミュ)のページに貼る目的で、写真を何枚か撮影した。

午後六時直前にお店に着くと、「一人でも入れますか?」と尋ねるより先に、「一名様ですね。こちらへどうぞ」と通される。タブレットではなく、口頭で注文する。「おすすめは、赤辛ホルモンミックス、名古屋カルビです」と言われたので、そのまま、おすすめを注文する。飲み物はウーロン茶にする。
店員さんが煙を吸う排煙ダクトのスイッチを入れる。そして卓上のロースターのスイッチを入れて、火が付く。ロースターの下に溜まっている黒っぽい液体は、廃汁と思われる。
「一人焼肉も久しぶりだな。目当ての味噌とんちゃんは第二陣にしよう」

――私は配信を開始する。
携帯端末を、持ってきた三脚とドッキングさせる。
それをテーブル上で、私の顔が映るように器用に置く。
皆のコメントを見ながら、皿が届くのを待つ。
店の内装も、よくある居酒屋のようだ。
「名古屋の街は、そんなに地元と変わらないですよ! 異国情緒というよりも既視感があるのね!」
やがて皿が届く、
私は目一杯リアクションをして、焼肉がはじまる。
鉄板の上に肉を置く。
一つ、二つ、三つと置いていく。
器用に菜箸でひっくり返しているつもりでも、焼き加減が不安になってくる。
上手く焼けたのか、どうか、わかりにくい。
均等に焼いたつもりでも、焦げたり、まだ赤かったり、ばらばらだ。
コンビニの豚肉弁当のように、端っこが軽く焦げたくらいが丁度いいのかと見当をつけて焼いてみても、焼肉なんて滅多にやらないから、上手くいかない。
私はここで機転が利く。
この焼き方のわかっていない様子を、あえてネタにしようと閃く。
菜箸で多少火を通した程度の肉片をつまみあげる。
生焼けのものだ。
それを携帯端末のカメラに近づけて、そして、「焼けました」と報告する。
これでリスナーのコメントにも火がつく。
「食い方のわからない子ども」
「子どもの一人旅」
「焼けてないよ」
「ちゃんと焼きなよ」
「あちゃあ」
「生」
「生」
「生肉食うな」
コメントの熱量が増して、一口食べるごとに弾幕のようになる。
配信に勢いがあるのは良いことだ、このまま食べ続けよう。
「あっ! 今の美味しい! タンかな? タンに似てた!」
食感がタンのようだった。
ミックスで提供されると、どれがどの肉かわかりにくい。
白い白子のようなものがホルモンなのだろうと思いつつ。
「名古屋カルビ、いっちゃおうかな!」
また鉄板の上に肉を置く。
一つ、二つ、三つと置いていく。
「カルビも美味しいです! え? お肉を粗末にしてませんよ!」
二皿、片付くと私は本命の味噌とんちゃんを注文する。
店員さんがすぐに持って来てくれる。
「次は名古屋名物の味噌とんちゃんです! 名古屋といえば味噌!」
私はロースターに、味噌漬けのホルモンを置く。
すると、ホルモンが隙間をすり抜けて、廃汁の中に落ちそうになる。
「あっ! 廃汁に落ちる! 固まるまで菜箸で持っていないと!」
菜箸で持ったまま鉄板で焼いていると、白いゲルのようなホルモンがベーコンのような歪んだ一枚の肉片に化ける。もしやこれが食べごろなのではと思い、小皿に乗せる。そして口に運ぶと、確かに丁度いい焼き加減だと思えた。けれど味が薄い。肝心の味噌が蒸発してしまっている。
「食べるの難しい! 焼いてる間に味噌が弾けてどっか行く! 味噌を残さないといけない!」
この後も、味噌とんちゃんを相手に苦戦を強いられる。
結局、完璧に焼けたのは一つか二つだった。
「今度、名古屋に来たら、また挑戦したいと思います!」
――肉の素材が良いのか、このような出来栄えでも味は悪くなかった。
――お疲れ様でした!
リスナーとお別れして、一時間枠が終了する。
私は、店内に残ってウーロン茶をもう一杯、それから牛タンと中ライスを注文する。
「これからようやく落ち着いて名古屋めしが食べられる」
私は届いた牛タンを片端から焼いて、中ライスの上に盛る。
上からタレをかけて即席の牛タン丼をつくる。
「しかし、世の中、わからないことだらけだ。廃汁の中にホルモンを落としそうになった」
――明日の映画「1923」は真剣に見よう。
私も放送作家の端くれだ。
それは言い過ぎかもしれないけれど、多くの人に見てもらいたくて動画を撮る。
韓国人の監督は歴史認識の問題を広めたくて作った。
まず、きちんと見ないと駄目だと思う。
ウケ狙いで見に来たけれど、不勉強を押し隠すように笑いに走った焼肉のように茶化して終わりでは、流石にいけない気がする。
「でもコリアンの歴史なんて、結局昨日の一夜漬けでわかった気になっているだけだよな」
食べ終わって会計を済ませると店を出た。
「満腹だ」
外はすっかり暗くなって、名古屋駅の方へ向けて歩く人影も会社帰りの社会人が多い気がする。
夜の街を見学するのは明日の晩の予定だった。
私は来た道を引き返しながら、ネットカフェの個室で何をするか悩んだ。
冷静に考えれば、考えるほど、配信以外にやることがない。
アプリで友達にメッセージを送る。「名古屋にいるよ」とか「映画を見に来たよ」とか送る。会話しているうちに企画のことも話す。友達は、「考えてくれる人を増やすのはいいことだよ。ネタにするとか、されるとか、そういう小競り合いとは全くの別次元で、沢山、苦労していると思う」と言う。なるほどと思う。
友達の言葉で、少しだけ悩んでいたけれど、決意が固まる。
私の配信のせいで、市民団体の活動が台無しにならないか、ほんの少しだけ悩んでいた。
「自分で言うけれど、影響力、ないわけじゃないものな」
炎上して有名になるという手もあるけれど、燃えカスのようになって終わるのが目に見えている。私の腕が悪いと、市民団体は悪い意味で有名になる。だから、精一杯の努力をしないと。
――ネットカフェに戻ると、私はまた配信をする。「明日見る映画の話」というタイトルでリスナーと話した。やはり「偉い」と言われる。リスナーさんの一人が、「昨日、突発的に思い立って、やると決めて、実際に名古屋に来て、今悩んでいるのが偉い」と言う。私が自分の認知度を上げたくて、ここまで来たことを白状すると、「でも偉い」と言われる。関東大震災の直後の大虐殺がテーマだと言い、市民団体のサイトで一夜漬けした内容を伝えると、また別の人が「なんだその話か」とか「知ってる」とか発言する。
――夜十一時にシャワーを借りて、メイクを落として寝る。
――起きたのは朝の五時だ。
我ながら、ぐっすり寝てしまった。
まず洗面台で洗顔をする。パウダールームを借りて、身だしなみだから、またメイクをする。
着替えて、ネットカフェを出ると、コンビニで塩むすびを一つ買って食べる。
そのまま最寄りのシェアサイクルを借りて、太閤通りを西へ直進する。

通りを行けば中村公園を過ぎた所に、庄内川と五条川が流れている。
川を一目見て見たかった。
観光客なら、おそらく港のほうを見て見たがると思われたけれど、なんとなく川を見たかった。
五条川を北上すると隠れ家的な神社を見つける。
これは萱津神社という。戦国時代に落ち武者を匿うのにうってつけだなと妄想する。
さらに北上すると鉄道が走っている。名鉄津島線という。踏切が多く、東京、大阪と比べて田舎っぽさがある。名古屋駅方面に引き返すイメージで、線路を追うように走る。すると須ケ口駅前を通る。また線路沿いを意識して進むと川がある。新川という。
借りた自転車は栄生駅付近で返却できるので、そこまで頑張って走る。
はじめての土地で、冒険心にまかせて二時間ほど自転車を漕いだ。
おにぎり一個のエネルギーで結構な運動だ。
栄生駅から名鉄に乗る。駅のプラットフォームには学生服の高校生が列車を待っている。今日は金曜日、平日だ。彼らには日常なのだろう。彼らは、私が埼玉県からやってきた曲者であることを知らない。何の変哲もない街だと改めて思う。
名古屋駅に戻ると、私は椿町に向かう。
時計は午前八時前。
映画は十時二十分開始だ。
コリアンタウンと呼ぶほどではないけれど、椿町はかつて在日コリアンが暮らしていた地域だという。大都市の中心部に隣接しながら、少しだけ取り残されたような場所。そういう空間は「インナーシティ」と呼ばれる。もともと、賃金労働者や外国人が暮らしやすい土地になりやすく、東京なら新大久保がまさにそうだ。
名古屋では、その役割をこの椿町の辺りが担っていた。
もっとも、実際に歩いてみると、街はかなり作り替えられているようにも感じる。コンパクトシティとして整備された現在の名古屋の中では、昔の空気はもう薄れているのかもしれない。
私が泊まるネットカフェも、かつて「駅裏」と呼ばれた地域にある。古びた雑居ビルが並ぶ風景には、どこか昔の名残りが残っている気がした。
通りには、コリアンフードを安く売る小さなスーパーも一軒あった。こういう店が残っているのを見ると、この場所にも、かつては小さなコリアンタウンのような時間が流れていたのだろうかと思う。

そして、その椿町に、シネマスコーレはある。
私はただぼうっと、椿町の片隅で立ち尽くして時間を潰す。ここにいれば何かを感じ取れるかもしれないと、根拠のない、スピリチュアルな考え方で映画館が開くまでただ立っていた。
映画館は黄色い壁の建物で、アルファベットでシネマスコーレと書いてある。現在上映中の映画のポスターも貼り出されている。韓国や在日コリアンをテーマにした作品が散見される。
時計は午前九時五十分を指す。
私は予約した映画のチケットを印刷機で出力する。
「十時開場です」
と言われて、それまでの約十分間を建物の二階で過ごす。
インディーズスペースと呼ばれる待合室は、この映画館を創った人のセンスが溢れている。故・黒澤明監督の書籍が本棚に多数置いてあって、リスペクトしていたことが容易にわかる。映画の歴史や国際比較に関する書籍もある。情熱的な人が手作りした映画館に違いない。
私は十時五分にスクリーンに移動する。
観客が一人、また一人と座席に座る。
二十人程度の観客に見守られて、
――映画ははじまる。
内容はドキュメンタリーだ。
冒頭で大虐殺の様子の絵巻が紹介される。
続いて旧日本軍の関係者が朝鮮人の遺体をつついて何かを確認する実写の動画も再生される。
河原と思しき場所で沢山の遺骸を埋め立てようとしていることが想像に容易い。
西欧の目を気にして、このホロコーストを諸外国に伏せたと説明が流れる。
「日本人であることを恥辱に感じる」
「私が百年前の日本にいたら、大虐殺に加担したかもしれないと思うと決して他人事ではない」
そんなメッセージも織り込まれている。
流言飛語による事件ではなく、政府と軍が結託して行った戦争の一部だという。
映画はそうやって理念を上映する。
スクリーンに歴史を登場させる。
朝鮮人大虐殺は歴史上の出来事だ。歴史を探検して遭遇する知識だ。歴史の中に登場するけれど、歴史を登場させるともいえる。朝鮮人大虐殺というレンズでみた日本の歴史が、今、スクリーンに映し出されている。日本が戦争を肯定するとどうなるか。その問いの答えだと、私には思えた。
私が名古屋を「既視感のある街だ」と感じたように、「既視感のある映像だ」と感じる人もいるに違いない。その話なら知っているよ、と。けれど、たとえば名古屋の街を作っている人たちの中には、私に言いたいことがある人も、いるかもしれない。案外、穴場や隠れ家的名店を教えてくれるかもしれない。「何もわかってないね」と言われるかもしれない。そうやって名古屋から見た私がある。それと同じように映像を制作する人達や、映像を見て欲しいと訴える人達から見た、私がある。
右翼団体にいるようなヤンチャな人が「なんだ、日本人、つえーじゃん」とあるまじき誤解をしないように、右翼団体の偉い人が「そんな出来事はなかった」と隠蔽しているのかなと思う。けれど、この感想は見に来た私の眼、レンズから、関東朝鮮人大虐殺という一つの知識を吟味したものであって、関東朝鮮人大虐殺というホロコーストから見た、そんな感想を抱く私が一体どんな姿をしているか、誰も教えてくれないし、知る由もない。ただこの作品に描かれている正義感の強い市民団体の活動家との対比で、それはとても冷酷で、冷笑的な姿だと感じ取ることができる。
映画を見終わって、私は再度の決心をする。
今、思ったことはリスナーの皆には伝えよう。
ただし、伝えようとする側の人達の気持ちがわかるまで、ホロコーストを見聞きした人達の様々な反応を二人称で見られるようになるまで、部外者の三人称の目線で思ったことをそのまま拡散するのは控えようと思った。
申し込んだ千葉県のバスツアーには必ず参加しよう。
配信とは別に、真心で参加しよう。
この日の昼は、予定通り、駅ナカで味噌カツを食べた。ランチタイムのラストオーダー間近のタイミングで入店したけれど、店員さんは明るく席へ案内してくれる。味は、確かに味噌が抜群に美味しいと感じられた。

昼食後はネットカフェに一旦、戻って来て、撮影した写真を整理する。
夕方は覚王山日泰寺にある、「寃死同胞(えんしどうほう)慰霊碑」を見に行ったけれど、現地で見つけられなかった。寺の境内を探し回ったものの、墓地は、先祖の墓がある浄土真宗の寺と違って異様な光景で少し怖かったため、くまなく探さなかった。

夜は、錦三丁目から栄の辺りを見学した。賑やかな街だった。大阪の商店街と違って、空間に天井が被さっている感覚がなく、開け広げた街に大勢の人が行き来していた。地下鉄で金山に移動して、栄と比べてみると、小ぢんまりとした繁華街だと感じられた。
最終日の朝は、名古屋で有名な喫茶店で朝食のトーストを食べた。早朝にもかかわらず行列が出来ていて、なかなか店内に入れなかった。ブラックコーヒーの味が良く、ヘーゼルナッツを一緒に食べたら合いそうな、その程度の油と合いそうな美味しさがあった。
帰りの高速バスでは、旅を終えた安堵感があった。
そんな風に私の名古屋旅行は終わる。
帰宅して数日間は調べものをして過ごした。
私が改めて思ったのは、戦争で支配下に置かれた土地にルーツがあるという理由で差別されるのは、戦争のやり直しだなということ。大虐殺について、日本政府が反省したのか、していないのかわからないのは、在日コリアンにとって不安の種ではないのかということ。そうやって思い詰めて考えていると、日本人の私でさえ、震災の度に同じことを繰り返すのではないか、怪しく思うということ。繰り返さないとは言い切れないということ。
私は、シネマスコーレで「金子文子」という人物の映画が宣伝されていたのを思い出す。インターネットで検索すると、韓国で「良心的日本人」と認められた人物だとわかる。彼女は関東大震災の直後に、日本人の社会主義者として投獄された。治安維持法の制定は一九二五年であるから、それよりも早いタイミングで取り締まりが起きていたことがわかる。関東大震災のあった頃、当時の日本政府が内部統制を強めていたのは、こうした史実からも伺える。彼女は一九二六年に獄死。
韓国は終戦後の一九四八年から翌九年までの間に反民特委といって、親日派、植民地時代に日本に味方した朝鮮人を粛清した。この「親日派」という文言は現代にも残存している。金子文子は、二〇一八年に韓国から、死後の人物として愛国章が贈られている。私は、「割と最近じゃないか」と思った。
ニュースをただぼうっと見ているとわからない隔たりの歴史があって、今も続いている。韓国の政治は、民族意識と国益の間で揺れている。市民の反日感情は根強い。次代を担う若者は貧困。側面にある日韓の力関係、対日貿易赤字、ソブジャン……。メディアは、「日韓関係は改善されてきている」と堂々と報じる。
こうやって点と点を線で結んでいくと、多面体のような韓国が思い浮かぶ。
「在日コリアンって要は韓国の人でしょ?」
というのは早計に思える。彼らは現代の韓国にルーツがあるとは限らない。日本人から「朝鮮人」と呼ばれて遠ざけられること、それは差別だという認識はあるけれど、タブー視でもあると私は思う。日本と朝鮮の歴史に生半可な覚悟で挑むなという知恵が、まことしやかに捻り出されていて、たとえば私には今まで一切知らされていない。
SNSを検索していると、埼玉県庁で開かれるイベントを知る。厳密には、イベントに便乗して行われる朝鮮学校支援者のビラ配りだ。日本の教育と同じく無償化して欲しいという呼びかけだ。日本にいながら朝鮮の民族教育を受けたい児童のための支援が滞っているのを「知ってください」「考えてください」ということだ。
――行ってみるか。
ビラ配りは正午に始まるようだったから、急いで着替えて県庁に行く。
自転車を走らせると、自然と気持ちが高揚する。
また突発的に行動しているけれど、超常現象に導かれているような気がして止まらない。
「在日コリアンに会えるかもしれない。どんな人達だろうな」
自転車を、浦和駅周辺の商業施設に止めて、小走りに県庁まで行く。
通い慣れた浦和の道だ。交差点を渡って、坂を下って、また少し登ると県庁がある。
県庁の正門に着くと、イベントの客の往来で賑わっている。
家族連れがほとんどだけれど、中学生の友達同士に見える人影もある。
正門の脇に十数名の人だかりがあって、ビラ配りの準備をしている。若い人もいる。年配の人もいる。彼らは皆、在日コリアンだろうか。
私は、話しかけやすそうな人に声をかけて「手伝いたいです」と伝えた。SNSで知りましたと言うと、ビラを渡された。
「あら、じゃあ、お願いします」
私は、もっと不思議がられるかと思った。もっと、どこの誰か聞かれるかと思った。
顔を見ても在日コリアンなのか、どうかよくわからない。日本人かもしれないと思うと、区別がつかない。ただ、家族のような温和な空気がビラ配りの集団にたゆたっていて、それが独特かもしれなかった。親戚の集まりのような、ゆとりと温度感がある。
私はふと思い立ってここにいるけれど、ビラ配りの準備をしていた人達はずっと前から、在日コリアンのために活動している。十代に見える人もいるけれど、聞けば彼らは卒業生だった。「オモニの会」という活動母体があって、そこからの参加者が多い。私が話しかけた人は日本人だった。
「コリアンが外国人になっちゃうよ。仲良くしましょうよ」
と日本語で呼びかける女性がいた。随分、年配の方だったけれど笑顔でビラを配っている。日本語の発音やイントネーションは全く違わない。
道行く人に配る時、両目が合うと逸らされる。
目を合わせないように配ると、全く手応えがない。
だから片目を見て手渡しする。
受け取って貰えたら、「恐れ入ります」とか「ありがとうございます」とかお礼を言う。この時、深々とお辞儀をしてはいけない。
私は生放送の配信をしているから少しは心得がある。たとえば「スナック菓子」という文言を、お菓子が嫌いな人が言い続けると必ずリスナーを不快にさせる。言葉には気持ちが乗る。態度にも、同様に感情が乗り移る。
ビラ配りをしていたら、私が在日コリアンだと思われる、いいえ日本人です、そんなことを考えながら厄介払いのようにお辞儀をしてはいけない。
「こんなところでビラを配っているのだから、もう在日コリアン」
そういう感覚で手伝うと相手を不快にさせないと見当がついたから、そのようにした。
偏見と戦っているとか、人助けをしているとか、そういう正義を自認しても、きっと不思議な姿なのだろうと見当がつくから、それも気をつけた。
今だけ在日コリアンになったつもりでいた。
カメラは回していないが、配信中のような冒険心があった。
小一時間、ビラを配って、集まりは解散する。
地元の新聞社から記者が来ていて、最後に記念撮影をした。活動したことを記事にして拡散することで、また協力者を呼んだり、呼びかけを知ってもらえたりする。なんとなく暮らしていてはわからない、歴史と向き合い、共生を模索する人達の活動がある。
千葉県の追悼地を巡る旅に参加するにあたって、私は一人でも多くの人の話を吸収できるようにノートと筆記用具を持っていく。配信はしないけれど、写真は沢山撮りたい。
「でも昔から、代々、虐殺の現場に住んでいる人って、加害者の子孫なのかな?」
私ははっとする。
「自分達の負の歴史を拝みに来たと思われたら、嫌がられないのだろうか?」
関東朝鮮人大虐殺という文言が持つ重みは、全ての人に均等にのしかかるわけではない。
私の様に興味本位でやってくる人の肩にはおぶさっていない。
「名古屋旅行の段階で気がついてよかった。やっぱり配信とかダメかな」
冷静に考えれば、そもそも無責任な配信によって、関東朝鮮人大虐殺の被害は大きくなり、今でも大勢が暗い部分を抱えている。
当日は船橋駅北口ロータリーに朝九時集合。
私は三十分前に船橋駅北口に着く。
バスは徒歩五分程の天沼弁天池の付近に停車してあると説明がある。最初の追悼地が天沼弁天池で、そこまでは歩いて行く。関東朝鮮人大虐殺を専門とする研究者が案内人になって解説をしてくれる。参加者にはハンドアウトが配布される。皆、書きこみをしながら熱心に聴いている。
その次に向かった先が、行田公園にある船橋無線塔記念碑だ。関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けたと書かれている。研究者は「実際はデマを拡散した」と説明する。虐殺をした自警団は、後に裁判になった際、「無線送信所から指示された」と弁明した。
バスはさらに北東に進む。馬込霊園にある関東大震災犠牲同胞慰霊碑には、「社会主義者と我が同胞を虐殺した」、「その犠牲同胞の怨恨」、「民主国家朝鮮の建国と世界平和が実現すれば報われる」と書かれている。
朝鮮人と日本人とを見分けるため、自警団は検問を訪れた人に「十五円五十銭」と発音させた。朝鮮語は、日本語と文法が異なり、名詞の中にガ行の音があると上手く発音できない。そのため朝鮮人は「ちゅうこえん こちゅっせん」と発声したという。
関東朝鮮人大虐殺を生き残った一部の人達は、東京大空襲の際には、家族に「ひと言も話すな」と教えたという。同じような虐殺がまた行われると思ったからだ。これはその家に代々語り継がれていると研究者は説明する。
バスは南東へと進み、京成大久保駅付近に停車する。坂を下った、今は運動場になっている辺りで虐殺が行われた。大日本帝国や日本人に逆らいそうな朝鮮人の識別が頻繁になされていた。軍隊が、習志野収容所に収容された朝鮮人を、自警団に引き渡すこともあった。
習志野周辺は江戸時代、幕府直轄の小金牧が広がる地域で、幕府の管理下で馬の放牧・育成が盛んに行われていた。そのような歴史を背景に、当時は騎兵連隊の司令部が設置されていた。西欧では騎馬突撃はナポレオン戦争の時代にも盛んに行われ、その後も十九世紀末から第一次世界大戦初期まで続いた。旧日本軍では日露戦争、満州事変、支那事変まで現役だった。その後は日本でも、軍の機械化が進む。習志野の騎兵連隊も段階的に再編成される。騎兵連隊による朝鮮人虐殺は太平洋戦争の時代になっても続いた。その際、習志野収容所にいる在日朝鮮人が犠牲になっていたという。東京の東側の在日朝鮮人はほとんど習志野収容所に連行されていた。亀戸から津田沼まで汽車(総武線)が走っていて利用された。馬込霊園の慰霊碑が一九四一年に建てられたことと、なんとなく対照的な歴史だ。慰霊碑は、軍が朝鮮人を殺害する風潮の中で建てられた意欲的なものだと思われる。
それから北東に進んで八千代方面の寺や集合墓地を訪れる。
八千代方面の慰霊碑には、「朝鮮人を虐殺した」という記述がない。あくまで震災の犠牲者として追悼されている。研究者は、「今更、謝れない罪意識から『虐殺しました』と慰霊碑に書かなかったのではないか。その可能性を棄却すべきではない」と言う。「猟銃で人を撃つと猟が出来なくなる」など自分達のモラルを守り、当時から集合墓地だった場所で、松の木に吊るすなどして虐殺は行われた。
研究者は他にも様々な話を聞かせてくれる。
聴覚障害の日本人が殺されている。この事実は全力で隠蔽される。なぜなら東京聾学校(現在の筑波大学附属聴覚特別支援学校)の卒業生で大正皇后に向けて朗読をしたことのある人物だったからだ。十五円五十銭と言えたけれどイントネーションがおかしかったため殺してしまった。皇后様に朗読を聞かせたことと辻褄が会わないから、全力で隠したのだという。

バスツアーの参加者に、在日コリアンの男性がいて、「日本人を許せない」と語っていた。研究者は「事実を積み上げて、一つひとつを明らかにすることが、一番重いメッセージになる」と返事をしていた。一橋大学で朝鮮近現代史の論文を書いている学生や、関西の劇団員など、参加者はバラエティに富んでいた。難民受け入れを専門に扱うNPO法人の代表(共同代表)の方がいて、専門的立場から慎重に事を進めている最中に、その分野に関係する政治のメッセージが強烈に配信されると、今までやってきた詳細な労力が、要はパァになったりもすると語っていた。いま、朝鮮に対する日本史上の蛮行は政治のメッセージで正当化されることがあるし、そのカウンターにあたる政治のメッセージも大量にばら撒かれる。関東朝鮮人大虐殺という歴史の重みが本当にのしかかった人達の望んでいることが、実現して、要は解決に至ること、労力が報われること、もう血が滲まないこと、そのために私が出来ることを一から探したいと思った。

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